ハヴァーツはどうなる?アーセナルに所属したドイツ人選手「最高の3名と最悪の3名」

チェルシーに所属しているドイツ代表MFカイ・ハヴァーツが、おそらく今夏アーセナルへと移籍することになるだろう…と伝えられている。

なお、プレミアリーグ発足からアーセナルでプレーしてきたドイツ人選手は11名。その中で今回『Planet Football』から「最高の3名と最悪の3名」をご紹介する。

◯最高の3名

3位:メスト・エジル

アーセナル所属:2013~2020

アーセナルでの成績:254試合・44ゴール

アーセナルの歴史の中で最も誇大宣伝された華々しい補強だった。レアル・マドリーで159試合81アシストを決めた気まぐれなプレーメーカーは、アーセン・ヴェンゲル監督の下でいきなりFAカップ優勝を成し遂げる。

その後も素晴らしい瞬間を何度も見せたものの、時間が経つごとに彼のパフォーマンスが落ちたのは残念だった。2021年1月のマーケットで退団するときには、彼のような10番はもうチームに必要とされなくなっていた。

しかもそれ以前に結んでいた契約によって給与額が膨らんでいたことにより、まるで追われるようにアーセナルを離れなければならなかったことは不運であった。

2位:ペア・メルテザッカー

アーセナル所属:2011~2018

アーセナルでの成績:221試合・10ゴール

2メートルに近い身長を備えたドイツ人センターバックは、2011年にヴェルダー・ブレーメンからアーセナルに加入。ローラン・コシェルニと長くコンビを組み、いくつかのタイトルに貢献した。キャプテンも務めるなど信頼も厚かった。

残念ながらアーセナルでのキャリアの終盤には怪我に悩まされるようになり、最後の2シーズンはあまりプレーすることができず、2018年に現役引退を余儀なくされてしまった。

引退後もアーセナルに残って指導者になり、アカデミーを統括するマネージャーとして従事。ウナイ・エメリ監督解任後は急遽トップチームのアシスタントコーチを務めたことも。また自身がうつ病経験者であることもあって、そのような活動にも積極的に取り組んでいる。

1位:イェンス・レーマン

アーセナル所属:2003~2008、2011

アーセナルでの成績:200試合・0ゴール

アーセナルでプレミアリーグ優勝を経験したドイツ人は意外にもイェンス・レーマン1人だけである。無敗優勝を果たしたインビンシブルズの一員となり、全38試合に出場しているのだ。その遺産は永遠に損なわれることはない。

もちろん彼自身はパーフェクトなゴールキーパーには程遠く、2006年のチャンピオンズリーグ決勝におけるレッドカードは永遠の汚点にはなってしまったが、ベストの状態のレーマンはまさに鉄壁の選手であった。

引退後は指導者として活動したが、2020年にヘルタ・ベルリンの取締役に就任。しかしその後解説者を務めたときにデニス・アオゴに不適切なメッセージを送ったことが発覚して解雇されている。

▼最悪の3名

ワースト3位:トーマス・アイスフェルト

アーセナル所属:2012~2014

アーセナルでの成績:2試合・1ゴール

10代でボルシア・ドルトムントから獲得されたトーマス・アイスフェルト。アーセン・ヴェンゲル監督は「チームに貴重な戦力となれる姿勢と技術的能力がある」と話し、彼を安値で加入させられたことを喜んでいた。

2013-14シーズンの開幕前に行われたアジアツアーで活躍し、さらにリーグカップではロベール・ピレスになぞらえられるようなパフォーマンスを見せたものの、結局U-21のカテゴリーでプレーすることになり、2014年にフラムへと売却されることになった。

その後は2015年から所属したボーフムで長くプレーしたが、昨季地域リーグのロット・ヴァイス・エッセンへと加入している。技術的には高かったものの、体力のなさと怪我が災いしたと言われている。

ワースト2位:アルベルト・メンデス

アーセナル所属:1997~2002

アーセナルでの成績:11試合・2ゴール

ドイツで生まれたスペイン系の選手であり、SCフロイヒトという小クラブでプレーしていたときに偶然試合を観戦したアーセン・ヴェンゲル監督に目をつけられ、アーセナルへと移籍した選手である。その時は22歳で、しかも大学生だったという。

その後5シーズンに渡ってアーセナルに所属したが、トップチームでは11試合の公式戦に出場して1ゴールという成績に。ローン移籍を経て2002年にラシン・デ・フェロルへと放出された。スペイン、ドイツの下部リーグで長くプレーしたが、再びサッカー界で大きく名前が報じられることはなかった。

彼も非常に才能には恵まれていたと伝えられているが、アーセナル時代にはとにかく怪我が多く体の弱さが祟ってしまったという。そして2010年に引退したときも大きな怪我を負ってしまったことが原因だったとか。

ワースト1位:モリッツ・フォルツ

アーセナル所属:1999~2004

アーセナルでの成績:2試合・0ゴール

後にフラムで稲本潤一とともにプレーするドイツ人サイドバック。アーセナルのU-18で戦ったFAユースカップを2回優勝した経験を持っていたが、トップではわずか2試合しかプレーしなかった。

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もちろんフラムでのプレーにおいてプレミアリーグでも十分にやれる能力は見せつけたものの、アーセナルでは最も影響力を見せられなかったドイツ人選手であった。

なおプレーをしながらコラムニストやコメンテーターを務め、引退後は1860ミュンヘンとアーセナルでドイツでのスカウトを任された。また2019年にはRBライプツィヒでユルゲン・ナゲルスマンの下でコーチになり、今季はガラタサライに移った。

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