「君たちを戦場に送りたくない」とび職、海外放浪、銃声も…異色の校長が故郷・石垣島で伝えたいこと

 【石垣】バックパッカーとして世界を歩いた。時には銃声も聞いた。世界の「現実」を子どもたちに伝えたい。教員を目指し、教鞭(きょうべん)を執ったのは30歳ごろだ。遅咲きのスタートだった。約25年が経ち56歳となった今、故郷の石垣島で校長先生として生徒を見守っている。「みんなにお前が校長かと驚かれるよ」。石垣市立白保中学校校長の宮良篤さん(56)は丸い顔をくしゃっとさせて笑った。大きな体に無精ひげ、一見こわもてだが平和への思いが常に心の中にある。

 「私たち教師は君たちを戦場に送りたくないし、戦争でなくしたくありません。これが純粋な気持ちです」。6月14日に白保中体育館であった平和集会。校長あいさつで講師へのお礼とともに、平和への思いを生徒にまっすぐ伝えた。

 6月の平和集会は毎年ある。前例踏襲の原稿を読む人もいる。だが宮良さんは「自分の言葉で生徒に伝えたい」との思いで、1週間かけて推敲(すいこう)し、A4用紙2枚分のあいさつ文を書き上げた。ロシアのウクライナ侵攻や国内で進む軍拡に危機感を募らせた。「平和は国から与えられるものではありません。自分自身でつかみ取らなければなりません」。深いテーマを生徒が理解しやすいよう、分かりやすい言葉でつづった。

 石垣市登野城生まれ。八重山高校を卒業後、浪人生活を経て、広島大に進学。卒業後、東京や神奈川でトラックドライバーやとび職として汗を流した。ためたお金を握りしめ、バックパッカーとして海外を放浪。最初の訪問国は「軍隊のない国」として知られるコスタリカだ。沖縄と似た色とりどりの動植物に感動しつつ「本当に軍隊のない国としてやっていけるんだ」と不思議な感覚になった。

 同じ中米でかつて内戦があったニカラグアにも行った。エルサルバドルでは宿泊先で外から「パン、パン、パン」と銃声が聞こえた。湾岸戦争時、船で世界を回っている最中、紅海で、米軍の戦闘機が頭上を飛んで行ったこともある。各国で見聞きした経験を通し「戦争や平和について考えるようになった」。子どもたちに「世界のことを伝えたい」との思いが芽生え、社会科の教員を目指した。

 石垣島を中心に四半世紀の教員生活の中で、大半は生徒指導を任された。わんぱくな生徒たちと向き合い、ぶつかることもあった。平和への思いが心にあったが、表だって言うことはなかった。だが昨今の「きなくさい時代」に危機感が募る。

 校長になり生徒と接する時間は減った。それでも島の子たちに平和の大切さを伝えたい。定年まで残り4年。「教え子を悲惨な場所に送りたくない」との思いを胸に、自分の言葉で分かりやすく平和の大切さを伝えていく。

(照屋大哲)

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