【関東大震災100年】猛火迫るも市民らの命救う 横浜の県立歴史博物館で見学会 「この建物は歴史の生き証人」

旧銀行金庫室の扉などが残る県立歴史博物館の地下。日頃は公開されていない=1日、横浜市中区

 関東大震災の激震に耐えた旧銀行の建物を改修して整備された神奈川県立歴史博物館(横浜市中区)で1日、100年前の災禍の記憶をたどる見学会があった。迫る火煙から逃れてきた人々が籠城した地下室や焼失後に復元された屋上のドームなど、日頃は入れない場所を公開。参加者は建物の構造的な特徴に目を凝らし、当時の苦難に思いをはせた。

 「銀行関係者140人、避難してきた200人。合わせて340人が九死に一生を得た場所だ」。1904(明治37)年の完成当時の扉が今も残る地下を案内しながら、同博物館の丹治雄一学芸部長が淡々と説明した。

 23(大正12)年9月1日の関東大震災では、県内各地が震度7相当の激震に見舞われたものの、旧横浜正金銀行の本店だったこの建物(地上3階、地下1階)は倒壊をまぬがれた。外装に石材を使った補強れんが造りの堅固な構造だったためだが、周囲から及んできた火が屋上のドームなどから入り込み、1~3階の内部は焼失した。

 丹治部長は「地震から約1時間後の午後1時ごろ、中に火が及ばないよう玄関などを全部閉めた。地下に籠城した人たちは、煙が迫り、息苦しくなる中、何とか耐えて全員生還した」と解説し、かみしめた。「関東大震災から100年になるが、この建物は歴史の生き証人だ」。扉が閉ざされた後、中へ入れなかった約140人は建物の周囲で焼死。横浜の街は焦土と化していた。

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