江ノ電の廃線も救った! 小倉一郎さんが語る伝説のドラマ『俺たちの朝』秘話

病気を期に再スタートで改名した小倉一郎改め小倉蒼蛙(そうあ)

青春時代に夢中になったドラマの裏には私たちの知らない“ドラマ”がいっぱい。出演者ご本人を直撃し、今だから話せるエピソードをこっそりお届け!

【『俺たちの朝』(日本テレビ系・’76~’77年)】

鎌倉にて共同生活をすることになったオッス(勝野洋)、チュー(小倉一郎)、カーコ(長谷直美)の青春ドラマ。番組にちなんだ記念切符も発行され、江ノ島電鉄は史上空前の利益を計上。

「『太陽にほえろ!』(日本テレビ系・’72~’86年)にテキサスとして出演していた勝野洋さんが“殉職”してから間もなく、同番組の岡田晋吉プロデューサーから呼び出されたんです。『“俺たちシリーズ”を勝野くんで1本作ってあげようと思う。小倉くん、勝野をスターにしてあげたいから手伝ってくれないか』と」

こう振り返るのは、昨年、がんを患ったものの治療が奏功し、再スタートの気持ちで改名した小倉一郎改め、小倉蒼蛙(そうあ)さん(71)だ。

『俺たちの朝』は江ノ電の極楽寺駅を舞台に、男性2人と女性1人の共同生活が描かれた青春ドラマ。

「当時、江ノ電は廃線危機だったそうですが、ドラマが大ヒットし、江ノ電ブームにもなったので盛り返したようです」

撮影現場にも多くの“追っかけファン”が押し寄せた。

「3~4人の女のコのグループがタクシーに乗ってついてくるのですが、撮影スタッフとしては困るので『次は長谷寺です』と女のコたちにうそをついて、実際は七里ヶ浜でロケをしたこともありました。今思えば女のコたちがかわいそうですよね(笑)」

■撮影現場に行くと台本にはなかったシーンが

ロケバスに揺られて鎌倉から東京へ帰ってくるのは、毎日、夜になってから。翌日も朝6時に出発だった。

「勝野さんとは、睡眠時間を計算しながら、1年間、毎晩のようにバーで酒を飲んでいました。勝野さんは飲んでも変わらない人。あの人は熊本の阿蘇の人なんだけど、すごく朴訥で人懐っこい。だから石原裕次郎さんとか竜雷太さん、下川辰平さんなどの、『太陽にほえろ!』の錚々たる大先輩のなかで、かわいがられたのでしょうね」

『俺たちの朝』のメイン監督を務めていた山本迪夫氏と小倉さん、勝野さんの3人で飲んだことがあったという。

「山本監督は自分の子どものように勝野さんを育てたいから、厳しいわけ。酒席でも『勝野はどうのこうの』っていうから、僕が『飲んでいる席でやめなさいよ』って間に入ったら、監督がお怒りになってしまって……」

次の日、撮影現場に行くと台本にはなかったはずのマージャン卓が用意されていた。

「監督は僕がマージャンをやらないのを知っていて。マージャン牌を積もうとしても、ガラガラと崩れてしまってできないんですよ。すると監督は『小倉、ちゃんとやれ!』って怒るんです。こっちも『きったねえなあー』と言い返したり(笑)。僕にとっても、楽しい思い出の詰まったドラマでしたね」

【PROFILE】

小倉蒼蛙

’51年、東京都生まれ。小学3年生から東映のエキストラとして映画に出演。’17年には初恋の相手であった女性と4度目の結婚。病気を機に、一郎から俳号としていた蒼蛙に改名した

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