売野雅勇語る『少女A』誕生秘話 中森明菜は“繊細で傷つきやすい少女”に見えた

「いい流れが来たとき、しっかり乗れるように直感を働かせてきました」と売野雅勇さん(撮影:加治屋誠)

「初めてお会いしたのは’83年で、『涙のリクエスト』のレコーディングだったと思います。絵に描いたようなプレーボーイって感じでした。年代物の古いベンツのSLに乗って、カジュアルなジャケットに白いハットをかぶり、颯爽とやってくる紳士というイメージです」(元チェッカーズの藤井フミヤ)

「昨年、ニューアルバム『Shadow』のリード曲『Again』を作詞していただきました。レコーディングの際、スタジオで作曲の林哲司先生が電話をつないでくださり売野先生とお話ししました。『どう、歌ってみて大丈夫?』と優しく尋ねてくださった声のトーンが、私が高校生だったときと変わらず、時間が戻ったようで不思議な感覚でした」(菊池桃子)

こうしたイメージのまま、作詞家の売野雅勇(72)は、都内の音楽スタジオに姿を現した。この日は売野がプロデュースするロシア人女性ボーカルユニット「Max Lux」のリハーサル。コロナ禍で延期となった作詞家デビュー40周年を記念したコンサートが7月15日に迫るなか、参加アーティストである彼女らの歌声を聴くためだ。

『六本木純情派』『禁区』『星屑のステージ』『め組のひと』など、売野は丸椅子に座り、リズムに合わせて足を小刻みに動かしながら、自ら作詞した歌を聴き込む。

「いいんじゃない、問題ないよ。ただ、1行目と2行目のアタックがもうちょっと強いほうがいいかも」

5年ほど前、売野自身が発掘したユニットに、笑顔でアドバイスを始めたのだった。

「歌がうまいこと、ヴィジュアルに華があることは大事ですが、いちばんのポイントは素直なこと。嫌な人間じゃ仕事をしても楽しくないじゃないですか。人生、人との出会いでできているから、どうせなら好きな人と仕事をしたい」

売野は大学卒業後はコピーライターとして活躍。レコードやCDのキャッチコピーなどを担当したことをきっかけに、シャネルズ(現ラッツ&スター)の楽曲で作詞家デビュー。中森明菜のセカンドシングル『少女A』で作詞家としての足場を確かなものにし、『涙のリクエスト』や『2億4千万の瞳』などヒット曲を連発した。

「計画どおりにはいかないから、そもそも計画は立てません。むしろ流れに乗って、目の前にやってきた仕事や出会いを大事にしてきたら、いまに至ったという感じの人生なんです」

■アメフトとロックに明け暮れた大学時代。初めは広告代理店に勤務し、27歳で結婚

売野雅勇は、’51年2月22日、栃木県足利市に生まれた。高校卒業を機に上京し、上智大学ではアメフトに明け暮れたが、一方でクリエイティブな世界にも興味を抱いていた。

「博報堂が、一般視聴者から『エメロンシャンプー』のコマーシャル企画を募集していたんです。それで大学時代、アメフト選手たちがグラウンドで練習していて、髪のきれいな女性が振り向くみたいな企画を応募したら通ったんです。撮影もすべて終えたのに、なぜか放映はされませんでした。ディレクターが、白いスーツを着たキザな男でしたね(笑)」

日曜日のアメフトの練習が終わると、渋谷にあった「ブラック・ホーク」という伝説的なロック喫茶にも足を運んでいた。

「ジャズを聴くみたいに、みんながロックを黙って聴いてるんですね。で、しゃべるとシーってやられる。レコードをかける人が気難しい顔をしていたのをよく覚えています」

こうした経験もあり、就職活動はテレビ局やレコード会社、広告代理店などを中心に挑戦した。

「でも、ほぼ全滅で。ニッポン放送は社長面接まで行ったのですが、最終的には落とされて。結局、萬年社という日本最古といわれる広告代理店に入ることに」

営業職で入社したが、間もなく、新聞や雑誌に載せる広告のコピーを主に担当した。そのうちテレビCMも手がけるようになり、ガムのメーカーのCMでヒットを飛ばす。

「クリエイティブディレクターの人が厳しくて、ものすごくいっぱい企画を出さなければならないんですね。苦労のうちに入らないと思いますけど、鍛えられました」

27歳で結婚したのを機に、フリーとして活動を始めた。

「妻と知り合ったのは大学時代。アメフトは珍しいから、近くの女子校の生徒が30人くらい、グラウンドにずらーっと見学に来るんですよ。するとボクたちは『今日はかわいいコいるな』って話題にするんですが、そのなかの一人が妻で、お付き合いするようになった感じですね」

当時の憧れが、映画評論家、音楽評論家の今野雄二さんだった。

「出版社に勤めていた編集者だったんですけど、独立してフリーでやっているような人で、カッコよかったんですね。自分も、結婚に縛られずに自由気ままに生きたいなっていうのがあって。だから妻から結婚を申し込まれたんですが、2回も断っているんです。でも、妻は占いか何かで売野姓になると、夫が成功するといわれたようなんですね。妻の友人たちの説得なんかもあって、3回目はやり過ごせなかったというか、押し切られて結婚したという感じです(笑)」

そんな時期、初めて音楽関係の仕事が入ってきた。CBS・ソニーのレコードやCDの帯コピー、音楽誌に掲載する広告の文章やキャッチフレーズを考案する仕事だ。

「朝10時から夜9時くらいまで仕事するんですけど、試聴室でヘッドホンを耳に当て、ずーっと聴いてるんです。おもしろくない曲は飛ばしたりしますけど」

ここで担当したシャネルズの新聞広告のキャッチコピーが担当ディレクターの印象に残り、「作詞をやってみませんか」と電話がかかってきた。29歳のときだった。

■『少女A』が急遽シングルカットされ大ヒット。明菜をスターダムに押し上げ、快進撃

「コピーが気に入ってもらえたのかもしれませんが、糸井重里さんが『TOKIO』を書いた時代ですから“コピーライターに書かせてみたい”って思ったんでしょうね。シャネルズのメンバーも集まった会議で、ブレーンとして出席しました。若いから頭の回転がよかったですね。アイデアがいくらでも出てくるんですよ。シャネルズの2枚目のアルバム『Heart&Soul』に収録された、鈴木雅之さんが作曲した『星くずのダンス・ホール』が、ボクの作詞家デビュー作(麻生麗二名義)になったんです」

これがきっかけとなり、作詞家として道が一気に広がると、新たな人との出会いにもつながった。シャネルズの大ヒット曲『ランナウェイ』を作曲した井上大輔さんの目に留まったのだ。

「井上さんがソロアルバムを出すとき『シャネルズの曲を書いている、麻生麗二ってやつがいい』って誘ってくださり、井上さんの作家事務所に入ったんです」

プライベートでは、’82年の2月に長女に恵まれた。

「夜中に仕事していたんで、深夜の授乳とかはボクがやる。ゲップをさせるのが、楽しくてね。おかげで妻は夜、ずっと寝られたから『時間が不規則の作詞家と結婚するのも、いいわね』と」

そんな売野のもとに、井上さんのマネージャーから「中森明菜というアイドルがデビューしたんだけど、セカンドアルバムの曲を集めているから書いてみてはどうですか」と連絡があった。

「『ボク、アイドルとか、そんな好きじゃないんですけど』って言うと、『プロの作詞家でやっていくには、こういうのを書かないとダメだよ』ってやさしく言われて」

先方からは、曲のイメージなども伝えられなかった。

「ダメならボツにすればいいやっていうくらいで、そこまで期待もされてなかったんでしょう。詞が先で、あとから曲をつけるということだったので、早く書かなくちゃいけなかったんですけど、全然、書けなくて切羽詰まってきたとき、『少女A』というタイトルだけが、パッと思い浮かんだんです」

かつて沢田研二に書いてボツになった詞があったのを思い出した。

「ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』をイメージしたボツ原稿は、中年の男性が若い女性をプールサイドで口説いてるっていうもの。で、これを少女目線に置き換えたのが『少女A』の最初の2行だったんです」

紆余曲折がありながら、作曲家の芹澤廣明氏のメロディに合わせて詞を組みかえ、明菜のセカンドアルバム『バリエーション〈変奏曲〉』に収録されることに。このアルバムで、シングルカットされる曲は、明菜のデビュー曲『スローモーション』の作曲を手がけた来生たかお、作詞を手がけた来生えつこの曲に決まりかけていた。

「ところが明菜さんのマネージャーが、レコード会社のディレクターのデスクで『少女A』とデカデカとタイトルを書いた原稿用紙を見て“なんだ、これは”と興味を示してくれて、急遽、『少女A』がシングルカットされることになったそうです」

だが、歌の内容に明菜本人は難色を示したというのは、有名な話。

「『少女A』というタイトルや挑発的な曲の内容が、自分のイメージとは違うということで『こういう歌は歌いたくない』と思ったみたいです。来生さんたちの『スローモーション』の流れからは、だいぶかけ離れていますからね」

だが、セカンドシングル『少女A』は大ヒットとなり、明菜をスターダムに押し上げた。また売野にとっても、作詞家として名刺代わりになるような曲となった。その後、明菜の曲は『1/2の神話』や『禁区』『十戒』など手がけるがー。

「じつはご本人とは、1回しか会ったことがないんです。やっぱり『少女A』の印象が悪かったのかな(笑)。録音スタジオに呼ばれて、挨拶だけしたんですが、見ようによっては不貞腐れているし、見ようによっては売野が嫌いって感じ。でも、ボクはそうした反応も“繊細で傷つきやすい少女”に思えて、嫌な気持ちにはなりませんでした」

『少女A』で新たに出会った芹澤氏とのコンビは、さらに快進撃を続けることになるーー。

【後編】『涙のリクエスト』でスターに! 作詞家・売野雅勇明かすチェッカーズの素顔へ続く

© 株式会社光文社