道ばたに多数の負傷者 山田春子さん(3) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>

 山田春子さん(94)=中城村=の家族は「南部方面へ逃げろ」という指示を受け、中城村泊集落の南にある壕から南部へと逃れます。「今考えると、『逃げろ』と言ったのは役場の人だったかもしれません」

 《私たち家族はわずかばかりの食料を持ち、それぞれ幼い弟や妹たちを背負い、当てもなく南部方面へ逃げました。》

 家族は一時、西原村(現西原町)幸地周辺の岩場で過ごし、首里を経て南風原へ向かいます。「西原には1カ月いました」と山田さんは話します。

 「食べ物といっても砂糖やくず湯みたいなものしかありませんでした。煙が出ると大変なのでイモを炊くことはできない。サトウキビを取って食べました」

 山田さんは妹を背負い、姉たちはそれぞれ弟の手を引いて南部を目指しました。逃れる中で悲惨な光景を幾度も見ました。

 《西原、首里、南部方面へと至る数キロの地域では連日連夜死闘が続き、軍人と住民の区別がつかなくなった。岩場や道ばたには多数の負傷者が置き去りにされた。もがき苦しんでいる者、家族を失いさまよい歩く子ども。言葉にできない悲惨な状況に心が痛んだ。》

 背負っていた末の妹は山田さんの髪を引っ張ったり、泣いたりしました。あまりに強くしがみつくので肩の皮がむけました。山田さんは痛みをこらえ、必死に歩きました。

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