1972年の札幌冬季五輪当時、私は選手村があった札幌市南区真駒内に住んでいました。沿道から家族で選手たちに手を振っていたのを覚えています。小学校入学前の私にとっては、初めての国際的な雰囲気に心が躍った瞬間でした。
<シリーズ評論・オリンピック考>慶応大教授・渡辺靖氏(56) 焦らず新たな五輪像を
- Published
- 2023/07/02 23:23 (JST)
1972年の札幌冬季五輪当時、私は選手村があった札幌市南区真駒内に住んでいました。沿道から家族で選手たちに手を振っていたのを覚えています。小学校入学前の私にとっては、初めての国際的な雰囲気に心が躍った瞬間でした。
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