<レスリング>【2023年全日本社会人選手権・特集】厳しい現実に直面した“デビュー戦”、闘志は衰えず…ハンディを乗り越えて挑んだ谷津嘉章(日本障がい者連盟)

 

 糖尿病が悪化して右脚のひざから下を切断した元全日本王者でプロレスラーの谷津嘉章(日本障がい者レスリング連盟)が7月1日、2023年全日本社会人選手権の男子フリースタイル125kg級に出場。健闘むなしく初戦で敗れ、敗者復活戦に回ることもできなかったが、館内から大きな拍手が沸き上がり、多くの人がハンディを乗り越えての闘いをねぎらった。

 谷津は「負けると悔しい気持ちは出てくる。(敗者復活戦に回って)もう1試合くらいやって勝ちたかった。リベンジしたいという気持ちがある」と話し、今後も挑戦を続ける決意を話した。

▲松葉づえでマット中央へ。このあと闘いがスタート

 10選手がエントリーした同級。谷津の初戦(2回戦)の対戦相手は、同じ日本障がい者レスリング連盟所属の釼持洋祐(44歳)。試合の組み合わせは、全階級でコンピューターによる事前抽選方式となっており、結果としてこの顔合わせとなった。

 釼持は高校時代にラグビーをやっており、素晴らしい肉体を持っているが、本格的なレスリングの経験はなく、「ビーチ・レスリングには出たことがあります」という程度。プロレス・ファンで、谷津が神奈川・小田原市で飲食店を開いていたときの客。谷津の「レスリングを通じて、希望を持って生きたい」という姿勢に賛同し、連盟のスタッフに名前を連ね、時に谷津の練習相手になっている。

 谷津と初戦激突となったことを知ったとき、「嫌だ!」という気持ちになったと振り返る。しかし、谷津から「手加減するな。本気でやるぞ」と言われて勝負に徹して10点を奪取。谷津の37年ぶりのレスリング復帰は黒星で終わった。

▲片ひざをついての闘い。なかなか攻撃ができなかった

「常識を逸している挑戦だが、啓発の必要がある」

 レスリングのマットは37年ぶりだった。片脚を失っての挑戦に、「常識を逸しているかもしれない」と話す。どうしても“好奇の目”で見られる面があり、周囲の視線が「怖かった」とも言う。しかし、「連盟を立ち上げた以上、啓発の必要がある」とも話し、NHKを含めて多くの報道陣を集めた成果には満足そう。「自分が何をやりたいのかのメッセージを残せればいいと思う」と、所期の目的は果たしたことを強調した。

 確かに片脚がないというハンディは大きかった。米国では、1974年にニュージャージー州で、芝刈り機の事故で足を切断したトム・サイツが州の高校選手権106ポンド級で優勝し、2011年には生まれつき右脚のなかったアンソニー・ロブレス(アリゾナ州立大)が全米大学(NCAA)選手権125ポンド級のタイトルを獲得した例がある(関連記事)。

 しかし、片脚がなくて体重が相手と同じ分、上半身の筋肉量は相手より上。パワーで相手の攻撃を防ぐことはできただろうが、67歳の体力では厳しい。グラウンドで返されそうになると、脚を使って踏ん張る態勢を取ろうにも、その“つっかえ棒”がないため、あっさり返されてしまう。健常者との闘いは、簡単ではなかった。

▲ハンディは大きく、体を崩されると、なすすべがなかった…

 エントリーを決意したあと、母校の栃木・足利大附属高校で練習を積んで臨んだが、「高校生は『谷津』という名前に遠慮していたと思う」と話す。真剣勝負の場は違った。「キャスティングも何もない世界。結果を受け止めるしかない。今後の課題が見つかった」。一方で、次回の挑戦となる10月の全国社会人オープン選手権では「勝たせてもらいますよ」と気合をこめた。

障がい者の挑戦が「普通」になることが本来の姿

 今回は障がい者が挑むことで注目を集めた。それも今回限りで、次からは「あ、また谷津がやっている、くらいになるでしょう」と言う。障がい者の挑戦が「普通」になることが本来の姿とも言う。

 今後の目標のひとつに、パラリンピックでのレスリング競技採用がある。「(パラリンピックで)実施されているのは視覚障がい者の柔道だけ。コンタクトスポーツであるレスリングはパラリンピックに向いている」と話す。しかし、現在は障がい者のレスリングについてのベースが何もないので、それの確立が先決。

 現段階では、練習の相手は健常者しかいないが、障がい者の間でレスリングが浸透することで、そのベースができていく。障がい者でレスリングをやってみたいという人に、「こんな感じでやるんだ、という手本とまでは言わないけど、見本になれればいい」とこの日の闘いを振り返り、「大学の先生を交えて、テキスト(ルールなど)をつくることから始めたい」と、障がい者レスリングの組織化・体系化の計画を話した。

▲試合後にインタビューを受ける谷津。不屈の闘志を強調した

 「先は長いし、パラリンピックの実施競技になるかどうか分からない」と前置きしつつ、「なったときは、一番に出てみたい。目標を持たないとならない」と話し、今後も前を向いて生きることを話した。

 谷津は1986年、プロアマ・オープン化の波に乗り、世界で初めてプロの選手としてレスリング(全日本選手権)に挑んだ選手。レスリングのプロへの門戸開放のパイオニアだ。だれもやったことのない世界へ挑む姿勢は、37年前と同じ。新たな目標に向け、再び闘志を燃やしている。

【お断り】障がい者スポーツに関する記事の場合は敬称をつけますが、大会出場に際しては、1選手として敬称を略します。

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