小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=24

「今頃、何をしてたんだ」
 出会いざま田倉は大声を出した。見つけたことを内心喜びながらも、渋面を見せる田倉である。
「そんな大声出しなさんな。浩二君はお母さんが熱でうなされているから、困って家に相談にきたらしい。内の奴も家を空けられないし、わしらの帰りを待ってなはったとですばい」
 八代はチョビ髭を動かしながら言った。
「いや、どうも、どうも」
 田倉は、照れ隠しに頭をかいた。八代は誘われて田倉の家まできた。
「ご心配をおかけしてすみません」
 出迎えた律子は慇懃に頭を下げた。
「アスピリンが効いたみたい。寝息が整ったわ」
 炊事場の卓上には、いつものように夕飯の支度はできていたし、風呂も沸いていた。浩二たちが夕方の家事を一切終えた後で、母は熱に冒されたのだ。浩二が家を空けたのもわずかな時間であったことが解った。
「八代さん、こっちで一杯やりましょうや」
 田倉は部屋で律子と話している八代を炊事場に呼んだ。酒瓶を持ち上げた。
「やれますやろ」
「はあ、嫌いじゃありません」
「風呂の後でこうして一杯やるのが、何よりの慰めですな。こちらのピンガは強いので水で割って燗をすると、ちょうど手ごろです」
「わっしもそうします」
 二人は卵焼きを肴に杯を重ねた。酒が廻ると、隣室の病人など忘れて二人は饒舌になった。
「若い頃は軍隊にとられましてな。朝鮮に派遣ですたい。京城衛生病院に通うて看護卒になりましたが、明治天皇崩御で内地へ帰還。軍隊での経験を活かして薬局を経営してましたが失敗でした。次に北海道の美唄鉱業所に就職。ここで十年ばかり務めましたが、欧州大戦後の産業恐慌時代となり、昭和六年にその鉱業所を解雇されました。その結果、一家六人が路頭に迷うといった有様で、とうとうブラジル落ちですたい」
 言いながら八代は小刀で縄煙草を刻んで、玉蜀黍の皮に巻き込み、隣の人から貰った燧石を使って火を点けた。原住民がやると悠長で愛嬌があるが、八代の動作はせっかちで滑稽に見えた。なぜ八代がそんな真似をするのか、田倉には解せなかった。
「みんな同じような境遇の連中が、ブラジルくんだりというのが、偽りのないところですな。同じ耕地に入耕したのは何かの縁というものですわ。よろしく頼みまっせ」
 田倉は八代の杯に酒を満たした。
「ブラジルはよか国ですけん、将来が楽しみですばい」

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