京都出身の書家は99歳になっても創作はつらつ 秘訣は「負けん気の強さ」

100歳を前にますます創作意欲が高まる尾崎さん(大阪市北区・府立国際会議場)

 京都府宮津市小田出身の書家で、文化功労者の尾崎邑鵬(ゆうほう)さん(99)=本名・敏一=が、100歳を前にますます創作活動に力を入れている。青年期まで過ごした古里で山谷を駆け巡り培った体力と、仕事の合間を縫って筆を執ってきた克己心がその意欲を支えている。

 尾崎さんが主催する「由源社全国書道展」が6月24、25日に大阪市北区の府立国際会議場で開かれた。横90センチ、縦3メートルの和紙にしたためられた「渾金璞玉(こんきんはくぎょく)」の書は尾崎さんが手がけた作品で、全国から集まった約500点の中央に掲げられ、存在感を放っていた。

 車いすで生活する尾崎さんが弟子の肩を借りながら自らの足で立ち、大筆で何枚も書き直して5月に完成させたという。会場では柔和な表情で来場者たちの記念撮影に応じていた。長年続けてこられた秘訣(ひけつ)を問われ「負けん気です。ここまでやってこられたのは自分に対する負けん気の強さ」と目尻を下げた。

 27歳で宮津市内の農協を辞め、大阪に出て研さんを積んだ。現在は八尾市に住み、中国の書家王羲之(おうぎし)の手法を学び、蘇東坡(そとうば)や杜甫(とほ)の漢詩を書き続け、日本芸術院賞などを受賞してきた。尊敬する書家からとった雅号に合わせて若い頃は「正体不明のUFOみたいに字体が定まらない」と話していたが、2016年に92歳で文化功労者を受賞し、自分が歩んできた道が正しかったと確信したという。

 弟子の岩瀬秀苑(しゅうえん)さん(80)=宮津市新浜=は「先生はこの年になっても現状に満足せず、昨日より今日、今日より明日と言って上達しようと努力している」とすごさを語る。

 衰えを見せない創作意欲の源は古里にある。山に囲まれた同市小田の辛皮地域から約10キロの道のりを幼少期から毎日徒歩で通った。農協職員時代も夜間や休みに時間を見つけては書き続けた。

 「僕は逃げるように宮津を出て、今は家もありませんから」と遠慮がちに言う。だが、地元で弟子が書道教室を開き、意志を継いでくれていることがこの上ない喜びだ。

 「生涯、筆を持ち続ける」。白寿の書家は前を見据える。

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