「無敵の人」

 最初に聞いたのは10年ほど前だろうか。事件や犯罪の報道に関連して言われる「無敵の人」という言葉がある。ネット生まれの新語・俗語で、もちろん単に〈相手になる者が無いほど強い様子〉を指すわけではない▲作家の朝井リョウさんが小説「正欲」の中で、登場人物にこんな定義を語らせている。「家族、友人、恋人、仕事とか、…どんな繋(つな)がりからも外れちゃって、守るべきものが何もないからこそ何でもできるっていう精神状態の人、みたいな感じ」▲選挙の街頭演説の会場で安倍晋三元首相の命が奪われた銃撃事件から8日で1年になる。東京・小田急線の車内で一昨年の8月に起きた無差別刺傷事件は先日、東京地裁で裁判員裁判が始まった。どちらの事件でも“無敵”がささやかれた▲「自暴自棄」や「捨て鉢」は古い辞書にも載っている。それ自体はよくある行動パターンなのかもしれない。ただ、決して“よくある”では済まされない深刻な結果が繰り返される▲孤立や孤独や、その先の暴発をどう防ぐか。絆だ、繋がりだ、寄り添う姿勢を社会の皆が…と文字で書くのはとても簡単で、しかし、書くだけでは何の解決にもならない▲答えは簡単ではないし、ひと通りとは限らない。考え続けることをやめてはいけないことだけが分かっている。(智)

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