「放っておいたら“ヤバいやつ”だ」痴漢に遭った女子高生が見た“犯人”の意外な姿

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新型コロナの行動制限解除とともに、痴漢の検挙件数が増加傾向にあります。警察庁が今年5月に公表した調査結果によれば、2022年中の痴漢の検挙件数は2233件と、3年ぶりに2000件台となりました(2019年は2789件、2020年は1915件、2021年は1931件)。

痴漢で逮捕された後、容疑者(法律用語では「被疑者」)にはどのようなことが待ち受けているのでしょうか。一方で、痴漢をめぐる冤罪事件が話題になることもありますが、その背景・課題として指摘される取り調べや捜査では、どのようなことが行われているのでしょうか。この記事では、被害者、弁護士、検察官それぞれの視点から「小説」の形式で見ていきます。

第2回目は、被害者の女子高生・井藤果歩が通学電車で痴漢被害に気づき、「もし勘違いだったら自分が責められるかもしれない」「痴漢にあったと学校で噂が広まるかもしれない」と葛藤し、声をあげるまでを紹介します。(#3に続く)

※この記事は実際に弁護士として活躍する筆者による書籍『痴漢を弁護する理由』(日本評論社)より一部抜粋・構成。

※【#1】「カバンにしては柔らかいような」痴漢に遭った女子高生が「絶対に捕まえてやろう」と決意したワケ

私のただの勘違いだったら…

今、私のお尻付近にあるこの感覚は一体どう表現すればよいのだろう。

──痴漢されているかもしれない──

そう思ってしまってからは、以前の経験も相まって、とてつもなく気持ち悪く思えてきた。この気持ち悪さは表現のしようがない。背筋が凍る。悪寒がする。初めてだろうが2回目だろうが冷静に対処できるようなものではないのだということを改めて思い知らされた。自分に触れている物体が、なにか未知の生物のような気持ちすらしてきた。

そうはいっても、もしこれが痴漢でもなんでもなかったら、私のただの勘違いだったら……。

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ただの勘違いなのにこんな静かな満員電車の中で声をあげたら、一斉に注目が私に集まる。私の声は、冷房の音やつり革のきしむ音をかき消して、きっとよく響くだろう。怪訝そうに私を見る「目」「目」「目」「目」……。

私が恥をかくだけではないか。もしかしたら、勘違いされたと思った誰かからすごく怒られるかもしれない……。

私は、どうしていいかわからず、ただ体を固くして息をひそめていた。

──え、嘘? ちょっと……──

生温かい手が、私のお尻をなでまわしたかと思うと、指が、直接太腿に触れるような感触があった。ちょっと汗ばんでいる感じもする。これはもう、カバンではないし、電車の揺れで偶然手が当たってしまったというわけでもない。絶対ない。

痴漢だ。

その指が、そのまま下着の中にまで入ってくるのを感じた。これは、このまま放っておいたら「ヤバいやつ」だ。生温かい手の感触を肌でじかに感じて、鳥肌が立った。

ギュウギュウの満員電車の中で、私の体勢はかなり苦しかった。それでも、なんとか身をよじるようにして抵抗した。痴漢の手を払いのけたかったが、自分の手は体の前のリュックを抱えていて、そこから下に降ろすこともできなかった。胸の動悸が最高潮に高まって、変な汗が出てきた。

──気持ち悪い!──

そう心の中で叫びながら、思い切って無理やり顔を後ろに向けた。意外にも、かなり若い男の顔が目に飛び込んできた。短すぎない髪は整えられ、スーツを着ている。おそらくサラリーマンだろう。

「痴漢するのはおじさんばかり」と思っていたけど…

その男は、私よりもかなり背が高かった。なんとか顔の全体を見ることはできた。端正な顔立ちだがどちらかといえば気弱そうなその男の顔は、これまでに赤羽駅で何度か見たことがあるような気もした。

「何? こんなに若い人?」

思わず声が出そうになった。私は、必死にその男をにらみつけて牽制しようとして、男の顔に目を向けた。

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一瞬、目があったような気がした。少しギョロギョロした大きな目だ。

反射的に声をあげそうになったその瞬間、下着とスカートの中からすっと手が抜けていった。私は目を見続けることはできず、自然と視線を元に戻した。

──あぁ、やっぱりこの男が犯人だ──

そう確信した。私が振り向いたのに気づいて、手をひっこめたに違いない。痴漢をするような人といえば、私よりもずっと年が上のおじさんばかりだろうと思い込んでいた。

私から手は離れたが、ついさっきまで私を触っていた男がすぐ近くにいるかと思うと、その後もとにかく気持ちが悪かった。

私は、身体の向きを変えることもできないまま、さっきの男がどうしているかも確認できずにいた。きっと、私に顔を見られたから、今頃は別の方向を向いたりしてごまかそうとしているに違いない。こうやって、声をあげられないような女子高生の痴漢ばかりしているのだろう。卑怯だ。

本当は、お尻のところにあった手を掴めばよかったのかもしれない。でも、もしまた同じようなことをされても、私にはとてもそんなことをする勇気は出ないだろう。おさまりつつある動悸の中でそう思った。痴漢に遭うと、とにかく気持ちが悪く、自分の身体すら思うように動かなくなってしまう。

と、そのときだった。

──え? まさか、また…?──

明らかに、スカートの上から右のお尻に手が当たる感触があった。さっきは、戸惑ってしまったが、こうも連続すればさすがに間違えようがない。さっきと同じ手のはずだ。偶然に手が当たってしまったなんてわけがない。

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もう高田馬場付近は通過していたはずだが、新宿まではまだ少し時間がある。その間、この気持ち悪さに耐えていられる気がしない。さっきみたいに、またスカートや下着の中に手が入ってきたら、本当に我慢できなくなる。

それにしても、1日に2回も、それも同じ電車内で連続して痴漢に遭うことなんてあるだろうか。なんで私ばっかり。今度こそ思い切って捕まえようか?

でも、犯人が、人違いだとか言って抵抗することも多いと聞いたことがある。それに相手は大の大人。女子高生の私が捕まえたとして、駅に降りた瞬間、逃げられる可能性も十分にある。それに、仮に捕まえられたとして、私にはなんの得もないのではないか。警察から親に連絡が行くだろうか、学校でも痴漢にあったと噂が広まるかもしれない。それか、もし私の勘違いだったら、私が責められるのだろうか。いろんなことが頭を駆け巡る。

そうこうするうちも、痴漢の手は離れなかった。意を決して再度振り返ると、またさっきの男!

目を合わせないようにしている気がする。一度は落ち着いた動悸が激しくなってくる。

──もういい加減にやめてほしい!──

とっさに、お尻に触れるその手に向かって自分の手を伸ばしていた。お尻に触れていたその手の、手首のところを右手で掴むことができた。掴んだ手は絶対に離さない。

「痴漢です!」

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気づくと、私はそう声に出していた。手を掴んだ時には、その後どうするかをまったく考えていなかったので、このことに自分でも驚いた。満員電車に響いた私の声に、周りの人たちが一斉にこちらをみた。その若い男は、小さく「えっ」と言ったまま、固まっているようだった。

すごく恥ずかしい。でも、一度手を掴んでしまったのだから、もう離したらダメだ。男は掴んだ手を振り払おうともせず、何か言葉を発することもなかったが、私は怖かった。怒鳴ってきたりしないだけマシかもしれない。でも、何を考えているかわからない男の態度が、たまらなく気持ち悪い。だから私は、できるだけその男の顔を見ないように、でも手は離さないように、右手に力を込めた。

このまま何もなく新宿駅について、速攻で駅員さんに男を引き渡して、それで私はすぐに学校に向かおう。それで終わり。この男のことは、あとは駅員さんと警察がなんとかしてくれる。私は、息が詰まるような気がした。

突然手を振り払い、線路に飛び降りる男

実際には手を掴んでからすぐ新宿駅に着いたのに、私の中では新宿駅がものすごく遠く感じられた。私はその男の手を引っ張って電車を降りようとした。相変わらず男は何も言わない。

しかし、電車を降りた瞬間、男は私の手を振り払って走り出した。

見開いた私の目に、ホームの反対側の線路に飛び降りる男の姿が映った。一瞬のことだった。私はどうしていいかわからなくなった。

「ビーーーーーーーーーーーー!」

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その時、けたたましいブザーの音が頭の上から降ってきた。誰かが非常ボタンを押してくれたようだ。

ホームにいた駅員さんが大声をあげた。

「おい! 線路に降りるんじゃない! 列車に轢かれるぞ!」

駅員さんも必死だ。しかし、駅員さんの怒声に追い立てられて、男もなりふり構わず逃げようと、男の手が宙を掻く。もっとも、男は、線路の石に足をとられて上手く走れないようだ。

その時、男の前に回り込んだもう一人の駅員さんが現れた。その駅員さんが広げた両手で抱きかかえるようにして男を捕まえるのが見えた。捕まえられた男は観念してその場に座り込んだ。男の両肩が激しく上下している。荒い息づかいがここまで聞こえてくるようだった。

私は、何が起きたのか理解が追いつかないまま、ただ佇んでいた。目の前の線路で繰り広げられている光景が、私のせいで起きたものだということすら忘れて、すっかり傍観者になっていた。

「どうしました? 大丈夫ですか?」

別の駅員さんに声を掛けられてはっとして我に返った。

「痴漢です。あの男に、お尻触られて……」

「そうですか……。これから学校? ちょっと駅員室まで一緒に来てもらえる?」

「大丈夫です。行きます」

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私は半ば放心状態のまま、その駅員さんについていった。駅員室では、駅員さんが2人で私の話を聞いてくれた。駅に着いてからの出来事が衝撃的すぎて、頭が真っ白になりかけていたが、話し始めるとスラスラと言葉が出てきた。私は、赤羽から新宿に着くまでのことを思い出せる限り話した。

駅員さんは、「相手の男も逃げようとしていたし、間違いないね」と言ってくれた。警察を呼んだから、警察の事情聴取にも協力してほしい、とも。

カチャカチャと何かの装備の音をさせて、制服姿の警察官が駅員室に現れた。駅員さんが「痴漢です。あそこにいる女子高生が被害者とのことです。犯人も別室に確保していますんで、引継ぎお願いします」というと、それを聞いて警察官の人が私に近付いてきた。その顔には「またか」と書いてあるような気がした。警察官は近くの警察署まで一緒に来てほしいと言う。ここで話をするのかと思ったのに。

──ああ、思った以上に大事になるんだな──

私も仕方なく時間通り学校に登校するのは諦めた。

面倒なことになったな。

(第3回目に続く)

■ 書籍情報
『痴漢を弁護する理由』
著者:大森 顕・山本 衛=編集
出版社:日本評論社

「痴漢」という犯罪に関わる者の苦悩と葛藤を通して、痴漢事件の内実、日本の刑事司法の問題を描き出す小説。

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