聖徳太子や大陸関連も 茨城・かすみがうら 風返稲荷山古墳出土品展 国重文指定53点

国の重要文化財指定を記念した特別展=かすみがうら市坂

茨城県かすみがうら市安食にある風返稲荷山(かざかえしいなりやま)古墳の出土品53点が国の重要文化財に指定されたことを記念し、特別展「風返稲荷山古墳と上宮王家(じょうぐうおうけ)」が同市坂の市歴史博物館で開かれている。まとめて展示されるのは1997年以来26年ぶり。有力豪族の墓とされる古墳からは、金属製の馬具をはじめ、銅わん、太刀、鉾などの精緻な工芸品が出土し、上宮王家(聖徳太子一族)や東アジア情勢との関係もうかがえる。 同館は「飛鳥文化を象徴する古墳。出土品の保存状態の良さだけでなく、ヤマト政権とのつながりを感じてほしい」としている。

聖徳太子は大陸の技術や仏教の受容に積極的な蘇我氏の王族だった。600年に最初の遣隋使を派遣したが成果を得られず、7年後に再び遣隋使を送り、この間冠位十二階や十七条憲法の制定を進めた。併せて大陸から高度な工芸技術の移転があったとみられる。

同古墳は全長約78メートルの前方後円墳。同館によると、出土品は遣隋使を経て飛鳥地方で作られていた。隋の使者、裴世清(はいせいせい)を連れ帰った際などに迎えた「飾り馬」などに使われた2組の馬具や銅わん1組が出土。馬具には法隆寺(奈良市)の救世観音の冠と似た模様がある。

当時の茨城は上宮王家を支える豪族「壬生(みぶ)一族」が栄えていたとされる。ヤマト政権は工芸品を地方に配って権威を示し、豪族側はそれを使って地方支配を固めたとみられる。

同古墳は日本大が1964年に発掘調査した。盗掘の跡がなく、出土品の一部は今も金属の光沢を保っている。国重文には昨年指定された。

展示では、12世紀の茨城県で盛んになった聖徳太子信仰がスムーズに受け入れられた理由として、古代の豪族の存在があったのではないかと位置付けている。かすみがうら市深谷の真珠院には、聖徳太子の孫にまつわる「桜姫伝説」があり、近世以降の「太子講」は今も地元の石材業界で引き継がれているという。

千葉隆司館長は「当時の日本の外交は7世紀に大きく発展した。馬具や武器の形状から、物部氏から蘇我氏への権力支配の変化なども見て取れる」などと、出土品から推測できる古代の姿を紹介している。

同館は特別展に合わせ、学芸員の解説で古墳を巡る「出島半島古墳ツアー」(要申し込み)を29日午後に実施する。30日には千葉館長の記念講演会を予定している。

特別展は9月3日まで。月曜休館。問い合わせは同館(電)029(896)0017。

唐草文様が特徴的な馬具

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