『お母さんががんになったら恥ずかしい』なくしたい がん教育の重要性 両側乳がんになりました200 

次の誰かのためにと綴っています・・・

『子どもにお母さんががんになったらはずかしいといわれた』をなくしたい

これはショックな発言ですよね。お子さんに言うタイミングも本当に難しい。

まずこう思わせてしまう理由はいったいなんでしょうか?私はその一つとして『がん教育』が足りていない、という現実があると思っています。

小学校・中学校・高校は『がん教育』は必修です。しかし、教科書でさらり、と触れられるだけでなかなか体験者や医療従事者からの授業というものは全国でも10%に達しません。

第4期がん対策推進計画でも『外部講師』による授業が推奨されていますが、まだ道半ば。学校側も事情ある児童・生徒への配慮から特に患者体験者の授業には二の足を踏むことが多いのが実情です。

実はそれは大人側の過剰な配慮によるものではないか、と思うこともあります。『がん』は自分で授業をするときにも言葉として使いずらい・・・そういった声もよく聞きます。

そんな中ですが、稚内市と豊富町からご依頼を受けて子ども向けの『がん教育』と大人向けの『がん検診啓発』を行いました。

まずは乳がんになる人数やがんにかかる原因やどうすれば予防できるのかなどをクイズ形式でお話。その後ドキュメンタリーのさわりをご覧いただいて、どうして私がこうした教育に取り組んでいるのか。私の『失敗談』をお伝えしています。

親にがんであることを伝えられなかったこと、もっと困りごとを解決するような知識を得られる活動をしてこなかったこと、夫や仕事場とのかかわり・・・。聞いてくださる方によってお話を変えながら進めています。

7か所でお話しましたが、そのうち一校の中学校の生徒会長からは『特に印象に残ったのは他の人とのかかわり方でした。お互いを助け合う大切さを改めて考えさせられました。』と感想をもらいました。

大事にしているのは支えられて生きていること、そして助けを求めていい、ということ。

人は『大丈夫?と聞かれても大丈夫です』としか答えられない。だから『何かできることある?』と聞いてみようと。

私は夫や周りの人たちにそう言われたので、頼ることができるようになりました。なかなか最初からこれやって、、は言えないのです(笑)。

お子さん以上に実は大人のほうが何も知らないかもしれません。

私の父は私が18歳のときに胃がんで亡くなりました。そのときはまだ本人にがんと隠す時代。本人は病を知らずに、、でも気づいているのではないか、、というタイミングで亡くなりました。もしかして自分がり患していて、治らない可能性を知ったら・・・。

私の父なら、その残された日々で何かやりたいことをしただろうに、と私が病になったからこそ強く感じます。

16年前には母も乳がん。父の時とは違い、『ご家族も・・・』と言われ一緒に聞く時代。さらに、今は本人が治療の選択すらしていく時代なのです。

特に北海道のような広いところはがんの治療を受けられる病院までは遠く、簡単に通うことはできません。さらに検診も年に数回のマンモグラフィ車を待たなければ検診すらも受けられない。そのタイミングを逃すとまた一年後。それでは早期発見が難しい。自分の体を守る気持ちが一層強くいるのです。だからこそ、がんというものを、がんと生きるということを知ってほしいと思うのです。

根強いがんに対するネガティブなイメージは理解できるけれども、超えていかなくてはいけない。がんと生きる時代なのです。

聞いてくださっていた方の中にはどうして自分の母親は亡くなったのだろう、と思った生徒さんもいたといいます。がんになる原因はひとつではないし、誰のせいでもない。自分や何より本人を責めてはいけない。

私も父が亡くなったときにはまったく受け入れられなかったし、病院がテレビに映るだけで見るのも難しかった。

それでも時がたつと、父との思い出や父を知る人からの支えや声で少しずつ復活。いまでは離れているくらい、の感覚になりました。

何よりも父を亡くしたとき、母は働いていなかったので(当時は結婚したら辞めるが原則でしたよね・・・)大学を辞めなくてはならないかもしれないという状況となりました。

そのときに支えてくださった奨学会の方々のおかげで今がある。

誰かが差し伸べてくれた手でいまの私がある。

だからこそ、いまその深い霧の中にいる方に少しでも手を差し伸べたい、と思うのです。

診断・手術から4年。このコラムも200回となりました。いつもお読みいただいているみなさまに感謝いたします。2000年代に入ってり患した方の生存率は飛躍的に伸びている、という朗報も入っています。いま、自分ができることを・・・。ひとりではありません。

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