関東大震災、横浜の被災克明に 寄贈原板で撮影者が判明 横浜開港資料館で8月公開

寄贈された「焼失横濱驛プラットホーム」のガラス乾板

 10万5千人を超える犠牲者を出した1923(大正12)年9月の関東大震災前後の横浜を捉えた写真の原板やアルバムが、横浜都市発展記念館(横浜市中区)に寄贈された。当時の横浜駅の被害状況や震災直前の街並みが克明に記録されており、吉田律人主任調査研究員(42)は「地震の激しさ、火災のすごさがこれまで以上に伝わってくる。震災を語り継ぐ上で大切な資料」と強調。横浜開港資料館と合同で8月26日から開催する特別展で公開する。

 寄贈されたのは、震災前後に撮影されたガラス乾板39枚と120枚以上の写真を収めた個人のアルバム。いずれも、横浜市電気局の職員だった故中野春之助が撮影したもので、今年6月に遺族から寄贈を受けた。

 ガラス乾板のうち34枚は、横浜の被害状況が写された電気局編のアルバム「大震火災電気鉄道被害状況」(横浜開港資料館所蔵)の原板であることが判明。その中では、2代目だった横浜駅(現在の高島町付近)で地震発生時刻の午前11時58分を指した時計の下に制服姿でたたずむ駅長の写真が知られているが、中野がその撮影者であることが今回確認できた。

 ガラス乾板からは高精細な画像が得られるため、「駅長は疲労のためか顔がむくみ、涙目になっていることが読み取れた」という。また、この写真は一部が切り取られた状態で各種の資料に掲載されていたことも分かった。

© 株式会社神奈川新聞社