神戸の高台襲った土石流、確かな前兆があった 山から泥水や小石…教訓は「とにかく逃げる」 西日本豪雨5年

土石流が流れ落ちてきた現場に立ち、当時の写真を手に振り返る大重昭司さん=神戸市灘区篠原台

 今月で発生から5年となる西日本豪雨は、兵庫県内にも大きな傷痕を残した。神戸市灘区の篠原台地区では、山の斜面崩壊により大規模な土石流が発生。民家8棟が全壊し、南北約300メートルにわたって土砂や倒木が流れ込んだ。奇跡的にけが人はゼロ。当時の自治会長は「小石が落ちてくるなど災害の前兆に気付いたことが早めの避難につながった」と振り返る。声を掛け合い、とにかく逃げる。その教訓を伝え続ける。

 同地区の土石流は、2018年7月6日夜に発生した。見晴らしのいい高台にある住宅街。北側の山の斜面が崩落した。市によると全壊8棟のほか、半壊・一部損壊も35棟。発生直後に発令された避難指示は、斜面の応急対策が施されるまで1カ月以上続いた。

 土石流の前兆があったのは6日午後3時ごろ。雨は前日から降り続いていた。「山から小石がぽろぽろと落ちてきている」。篠原台南自治会長だった大重昭司さん(78)に、近所の人から連絡が入った。

 坂道を上り、山の斜面に向かうと、濁った泥水や小石が流れてきている。「これは危ない」。住民の一人が消防に通報した。駆けつけた消防団員らが道路に土のうを設置。普段と異なる状況に危機感が広まり、一部の住民は避難を始めた。

 その夜。消防団員らと屋外で警戒にあたっていた大重さんは「ドーン」という爆音を数回聞いた。「聞いたことのない音やった」。その音に合わせて、山側から次々と土砂が流れ、急な坂道を駆け降りていく。土砂は最大で深さ約1.5メートルにも達し、車数台を押し流した。住民の避難のタイミングには幅があったが、「明るいうちに異変に気づけたことで早めに対応できた」と話す。

 神戸では、7月5~7日の3日間で総雨量が430ミリを超えた。約700人が犠牲となった阪神大水害(1938年)に匹敵するほどの記録的豪雨だった。

 大重さんは直後から、復旧に向けてボランティア受け入れや行政との調整に奔走した。被害を受けた民家のうち3棟は解体されたといい、地区を離れて戻ってこない被災者もいる。

 今年3月には、国土交通省が土石流を受けて整備した砂防ダムが完成し、対策は強化された。だが、全国では毎年のように豪雨災害が発生し、今月も九州を中心に被害が出ている。

 「前兆を見過ごさず、いち早く逃げる。それがあの土石流の教訓」。今も地区の防災活動に関わる大重さんは、そう話す。(上田勇紀)

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