DMOに期待する!日本全体を潤す牽引車

結論から言うと、地域間格差が大きいということです!

私が経験したDMOについて、感じたことです。

先ず初めに私が金沢で経験した観光誘致活動をご紹介させて頂きます。28歳の頃、ホテルオークラを退社し、妻の実家の金沢の割烹旅館の支配人を4年間勤めました。ホテルマンで旅館の経験者はなかなかいないと思います(笑)。金沢に赴いた当初は、東京から来た遠者モンに北陸金沢の観光の何が解る?などと言われていました。周りの温泉場の大きな旅館に比べ、規模が小さな金沢の旅館は、家族経営の為、外への営業活動を積極的に行っていませんでした。

初めて体験した冬の金沢は、極端なオフシーズンで、12月から2月の稼働率は30%前後でした。これでは駄目だと思った私は、金沢コンベンションビューローに相談に行きましたが、冬の北陸はしょうがないという感覚でした。諦めきれず、大手旅行会社の仕入センターに相談に行きました。そこでは、北陸の冬の閑散期対策を真剣に考えていて、親身になって相談にのってくれました。

そこで、『金沢観光開発振興協議会』という任意の組織が立ち上がりました。今で言うDMOですね。まだ、新幹線も開通していない金沢市内のホテル・旅館は冬場のオフシーズン対策は企業の死活問題ともいえました。

冬の金沢『雪の章』という商品を立案しました!

協議会が作った宿泊・観光施設が一体となったプランです。そのプランで金沢に来られた方には、一冊のクーポン券をお渡しし、市内各観光施設の割引券をお付けしました。観光施設も冬場は同様に厳しい状況でしたので、企画にはほとんどの施設が同意してくれました。また、施設による勝ち負けもあるため、受益者負担のシステムを取り、なるべく平等にすることを考えました。そのプランで利用した宿泊・観光施設は利用人数に対して会にお金を支払うシステムにしました。この商品をその旅行会社に持ち込み、足付の商品として商品化もしていただきました。その商品が中部・関西・東日本へと広がり、ヒット商品となりました。遠方の方々には、雪吊りの兼六園や冬の食材が豊富な金沢は、魅力であったということです。これまでの宣伝とアイデアが足らなかったということです。その後、周辺地域の温泉場と組み2泊型の商品とし、会にもお金が入るようになりました。その商品の装飾をするのに主要都市の店舗が終わるまで外で待ち、夜遅くまで作業をした事が思い出されます。このネーミングの宿泊プランは、30年以上経った今でも形を変えてあるらしいです。

その他の活動として、兼六園周辺渋滞緩和のためのパークアンドライド方式の提案。日本国内では早々にこの方式が実現しました。NHK大河ドラマの誘致。『利家とまつ』が何年後かに放映されました。冬場の食の金沢を楽しんでいただくために、有名な方々をお呼びして共に食する『フードピア金沢』という企画での誘致も行いました。また、気象庁に対して風評被害ともなる「輪島上空にマイナス40度の寒気団」の報道のコメントを止めてもらう活動等々、積極的に活動し、それなりの効果が上がりました。全てがその協議会での実現とは言えませんが、それぞれに提案したことが、今考えるとかなりの難関を突破し、実現されたと思います。

場所は変わって、横浜、そして、日本橋!

次の仕事の拠点となった横浜でも、観光事業に様々な形で関わりました。横浜市経済局が所管の横浜プロモーション委員会の委員や認定審査員になり、横浜への誘致活動を行いました。時はちょうど横浜市制150周年の頃でした。正直、年中観光で賑わっている横浜では、金沢の切羽詰まった真剣さとは大きな差がありました。Y150として横浜市150周年事業で観光誘致に予算がつけられた際も、いろんな団体が自分の所だけの都合で考えるため、バラバラになりまとまりがつきませんでした。

今の日本橋エリア、銀座エリアでもDMO活動を小さく行っていますが、観光施設と宿泊施設の一体感は全くといっていいほどありません。

やはり地域によって、大きな温度差があります。集客に苦労している地域でのDMOは本気で真剣です。

観光立国の日本を考えた時、世界で行きたい場所で1位となっている我が国、日本の観光資源は素晴らしいものです。ただし、東京都内だけを見ても、新宿・渋谷・銀座を中心に山の手線内の中心部と、我々のように少し離れたエリアや横浜エリアでは外国人比率が大きく違います。地方の格差はもっと大きいものだと思います。

日本国のDMOを考えた時、日本全体が観光で潤うためには、もっと真剣にそれを牽引し、全体をまとめる強力な力が必要だと感じます。

寄稿者 笹井高志(ささい・たかし) ㈱ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ常務執行役員

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