来日直前!英国フォークらしい凛とした佇まいも美しいブリジット・セント・ジョンの最高傑作『サンキュー・フォー』

『Thank You For…』(’72) / Bridget st. John

今回の主役は英国出身のフォークシンガー、ブリジット・セント・ジョン。前回、前々回に続き、女性シンガーが続いてしまったのだが、ちょうど彼女の再来日公演が今月に予定されている。別に宣伝を頼まれたわけではないのだが、本コラム掲載後、約二週間後の開催というタイミングなので、これも縁だろう。イベントに参加を予定されている方には、“予習”を兼ねて! このシンガーをご存知ない方には、アルバムとコンサートのリコメンドになればと、ご紹介させていただこうと思う。アルバムは1972年にリリースされた彼女の3作目『サンキュー・フォー(原題:Thank You For…)』(’72) !

今なおブリジットの 最高傑作とされる3rd

本作は1972年にリリースされているのだが、当時ほとんど日本のメディアで紹介されたことはなかったに違いない。私も彼女のことはほとんど知らないに等しく、ケヴィン・エアーズのアルバムにゲスト参加しているのをクレジットで見て名前を覚えていた程度だった。それが、1995年に彼女のアルバムがCDでリイシューされたのを機にその存在を改めて知り、またアルバムの素晴らしさに驚愕し、慌てて他の再発盤も買い求めたくちである。今もそうなのかもしれないが、オリジナルのダンデライオン盤(LP)はかなりの高値で取引されていたのではなかったか。そうさせていた原因のひとつは4作目の『ジャンブルクィーン(原題:Jumblequeen)』(’74)を発表して以降、1995年に一連の過去作のリイシューが始まるまで一切の動向が伝わらず、彼女は【幻のシンガー】とされていたからだと思う。

本作『サンキュー・フォー…』は彼女のアルバム中、最も人気のあるアルバムだろう。前2作も悪くないし、基本的に彼女の作風、演奏、歌い方等、音楽性は一貫しているのだが、曲によってシンプルなバックをつけたバンド編成により、聴きやすさ、響きの空間性のようなものが増している点も大きいのではないか。メロディーの美しさにも秀でたものがある。また、録音時26歳の彼女のポートレイトを組み合わせたジャケットもアルバムを魅力的なものにしているかと思う。

伝説のDJ、ジョン・ピールに見出される

ブリジットは1946年、英国はイングランド、サリー州で生まれている。母親、姉妹もピアノを弾くなど音楽一家で、彼女も小学生の頃からピアノを始め、いろんな楽器に触れるものの、どれも長続きせず、最終的に選んだギターが唯一しっくりきたらしく、練習に夢中になる。と同時にソングライティングも取り組むようになり、20歳の頃には人前で歌うようになる。

英国BBC放送(ラジオ)の初代DJで、アルバム・ディレクター、さらにはレーベルオーナーとして活躍し、有名な“ピール・セッション”を主催してメジャーからアングラまで、彼の嗅覚で目をつけたアーティストのライヴ番組が組まれ、知られざる逸材のデビューのきっかけを作った、ジョン・ピールという人物がいる。彼のラジオ放送は1967年から亡くなる2004年まで散発的に行なわれたのだが、ブリジットもまた、彼に発見され、その強力な後押しもあって、ケヴィン・エアーズ、マイク・オールドフィールド、ジョン・マーティンといったアーティストと交流するようになる。
※ケヴィン・エアーズのアルバム『月に撃つ(原題:Shooting at the Moon)』(’70、KEVIN AYERS & THE WHOLE WORLD)、『不思議のヒット・パレード(原題:Odd Ditties)』(’76)、『アンフェアグラウンド(原題:The Unfairground)』(’07)、マイク・オールドフィールドのアルバム『オマドーン(原題:Ommadawn)』(’75)にブリジットは参加している。他にもマイケル・チャップマン等、参加作はありそうなのだが、割愛させていただく。

そして、ピールのプロデュースで、彼の興したレーベル、ダンデライオンから『アスク・ミー・ノー・クエスチョン(原題:Ask Me No Questions)』(’69)でデビューする。アルバムはブリティッシュフォーク然とした内容で、凛とした空気が張り詰めている風だ。多くの曲で前述のジョン・マーティンがギターで、またフェアポート・コンベンションの2代目フィドラー、リック・サンダースがギターで協力している。そして地味ながら弾き語りシンガーソングライターとしてブリジットは確かな力量を示し、高評価を受ける。続く『ソングス・フォー・ジェントルマン(原題:Songs For The Gentle Man)』(’71)もマーティン、サンダースが協力し、プロデュースにはピンク・フロイドのロジャー・ウォータースとの仕事で知られる作曲家、指揮者のロン・ギーシンがあたり、ストリングスを配した意欲作となった。

腕利きのミュージシャンが参加。 粒揃いのオリジナルとカバー曲

そして、コンパクトなバンド編成で録音されたのが本作『サンキュー・フォー』で、アル・スチュアートやシャーリー・コリンズらとの仕事で知られるジェリー・ボーイズにプロデュースが変わり、これまでの作品に続きリック・サンダース、ジョン・マーティン、さらにアンディ・ロバーツ、ギタリストのティム・レンウィック、イアン・マシューズ・サザンコンフォートからペダル・スティールでゴードン・ハントリー、ドラムにフェアポート・コンベンションのデイブ・マタックスが参加している。

また、オリジナルに加え、いくつかのカバー曲が含まれ、そのアレンジ、彼女ならではの解釈も聴きものとなっている。現行の盤には未発表曲、ライヴ音源等10曲が追加され、聴きごたえたっぷりなボリュームだ。

とりわけハッとさせられるのはボブ・ディランの「ラブ・マイナス・ゼロ、ノー・リミット(原題:Love Minus Zero/No Limit)」(1965年『Bringing It All Back Home』収録)のカバーで、これはあまたあるシンガーによる同曲のカバーの中でも飛び抜けた出来だろう。

夭折したロックンローラー、バディ・ホリーのカバー「エヴリー・デイ(原題:Everyday)」も意外な選曲で、見事に自分のものにしているセンスに脱帽した。それを上回るオリジナル曲の、ハートの奥に染み通ってくるような瑞々しさは、半世紀を過ぎた今も色褪せていない。また、カバー曲があるわけではないが、端正なギターや歌からはジョニ・ミッチェルの影響もうかがえなくはない。3歳歳上とはいえ、同世代の女性フォークシンガーの先頭にいるジョニの存在は、自然と意識するものだったのではないか。

あと、関連があるのかどうか、初めてブリジットの歌を聴いた時、ヴェルベット・アンダーグラウンド、アンディ・ウォーホルとの関連で知られる、ドイツ出身の女優、シンガーのニコと歌い方、言語の発声が似ていると思った覚えがある。そう思って彼女の代表作『チェルシー・ガール(原題:Chelsea Girl)』(’67)を聴きつつ調べると、結構共通項があるのだ。いつかこのアルバムについては改めて紹介したいと思うので、そのあたりかいつまんで書くと、バンドメイトのジョン・ケイルとルー・リードが曲提供を行なっているのは分かるが、他にボブ・ディラン、ジャクソン・ブラウン、ティム・ハーディンの曲を取り上げ、ヴェルベット・アンダーグラウンドのイメージを覆すように、アルバムのトーンはフォークでまとめられていることなどである。また、アルバムに流れている空気感のようなものまで、私には類似性を感じるのだが、ニコの『チェルシー・ガール』の影響があったのか、果たしてこれはブリジット本人に訊いてみないと分からない。もっとも、彼女の声はニコほど呪術的というか、暗くはない。

だからなのか?(というか、彼女とニコを関連づけたコラムを他で見たことなどないが) ブリジットの諸作、および本人を“アシッドフォーク”の傑作、女王と紹介されている記事を、いくつか見かけたことがある。アシッドフォーク? どういう意味なのだろう。今では当たり前のように使われているようなのだが、正直言って私にはあまりピンとこない(理解できなくはないが)。この、根拠のなさそうなカテゴリーにブリジットが相応しいとも思えないのだが、サイケデリックの流れを汲み、退廃的でアシッドでトリップしているような浮遊感のある音楽…という意味でそうとらえているのだとしたら単純すぎるのではないか。

むしろ、彼女はあくまで正統派ブリティッシュ・フィメール・フォークシンガーととらえるべきで、世代的にもフェアポート・コンヴェンションに在籍したサンディ・デニーやスティーライ・スパンのマディ・プライヤー、ペンタングルのジャッキー・マクシー、ルネッサンスのアニー・ハズラム、アン・ブリッグス、シーラ・マクドナルド、ジューン・テイバー、バーバラ・ディクソン…と挙げだすとキリがないが、彼女たちと同列におくべきではないか。さらにアルバム『サンキュー・フォー』からは、伝統音楽をバックグラウンドとしたフォークから一歩踏み出し、ブリジットがディランをはじめとした、フォークリヴァイバル・ムーブメント後のニューフォークに追随していく姿が浮かび上がってくるような気がするのだ。

このアルバム後、シンガーソングライター、ギター奏者としても彼女に対する評価は高まり、ジョン・ピールのセッションだけでなく、ポール・サイモンやデヴィッド・ボウイらとフェスやカレッジ・サーキット等を回ることで人気も上昇し、一時は英国女性シンガーの人気投票でもトップ10に選ばれるほどだったらしい。
※ピール・セッションの音源を集めた『BBC Radio 1968-1976』(’10)があるが、現在は廃盤。

しかし、その後シンガーソングライターには不遇の時代が続く。ロック全盛、パンク、ニューウェイヴの台頭、テクノ、オルタナティブ…と、弾き語りのシンガーの出る幕などなかった。4作目『ジャンブルクィーン(原題:Jumble Queen)』(’74)リリース後、次のアルバムが作られることはなかった。ただ、前述したように1995年に彼女のアルバムがCDでリイシューされ、それが契機となってベスト盤やライヴ音源、未発表音源等を集めたコンピレーションが作られ、中には日本の独自企画の編集盤もリリースされるなど、にわかに再評価の機運が高まる。ちなみに直近のものでも、昨年『From There/To Here: UK/US Recordings 1974-1982 (Cherry Red)』(’22)という、彼女が表舞台から去り、空白とされていた時期の音源をまとめたコンピレーションが出されている。ブリジット自身が編集に関わっているという。この編集盤にもセッションの音源が収録されているが、実は彼女は生活拠点を英国からニューヨークに移し、マイペースの活動を続けていたらしい。

オリジナル作は2001年に27年ぶりとなる『My Palace』というアルバムがリリースされているほか、過去の来日(2001年、2010年、2018年)時にはライヴ盤が制作されている。コツコツとブレずに歌い続ける姿勢にまず拍手だが、ファンにはそろそろ新録のスタジオ盤も出して欲しいところだろうか。

過去の来日公演の素晴らしさもあってのことと思う。なおかつ根強いファンの熱意と期待の声が後押しとなり実現したのだろうか。4回目となる今回の公演では、クラシックギターを手に、独自の詩的な世界を歌う青葉市子さんとの競演が予定されている。孫ほども年齢差のあるふたりのステージだが、才気が交錯する、きっといい夜になることだろう。

TEXT:片山 明

アルバム『Thank You For…』

1972年発表作品

<収録曲>
1. Nice
2. Thank You For
3. Lazarus
4. Goodbaby Goodbye
5. Love Minus Zero
6. Silver Coin
7. Happy Day
8. Fly High
9. To Leave Your Cover
10. Every Day
11. A Song Is As Long As It Wants To Go On
12. Passing Thru' (Bonus Track)
13. There's A Place I Know (Bonus Track)
14. Nice (Live) (Bonus Track)
15. Silver Coin (Live) (Bonus Track)
16. Fly High (Live) (Bonus Track)
17. Lazarus (Live) (Bonus Track)
18. The River (Live) (Bonus Track)
19. Thank You For (Live) (Bonus Track)
20. Ask Me No Questions (Live) (Bonus Track)
21. If You've Got Money (Live) (Bonus Track)

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