「私がいないと回らない…って本当にそうですか?」91歳の心療内科医が教えてくれた“ほどよく忘れる”という生き方

(撮影:秋月 雅)

京都市左京区、ビル一室に構えられた小さなクリニック。ここで診察にあたる91歳の心療内科医の言葉が話題となっている。

心はカラッと、人づきあいはサラッと、人生はさっぱりとーー人間関係や健康、老いや不調との向き合い方など、さまざまな日常に細やかに光を照らした言葉の数々に、「前向きになれた」「ほっとした」という声が寄せられている。

藤井英子医師のはじめての書籍『ほどよく忘れて生きていく』(サンマーク出版)から、一部抜粋、再構成してお届けする。

■「誰かの意見」は忘れる

<人の意見に耳を貸すことは大切。でも、気にしすぎないことはもっと大切です。人の意見なんて、本人も覚えていない、無責任なことも多いものです>

周囲の声が気になってしまうことは、誰にでもありますよね。

もちろん人の意見によって悩みの突破口が見つかることもありますから、真摯に耳を傾けることは大切ですが、あちこちから聞こえてくる、「ただ自分の意見を聞いてほしいだけ」の、無責任なアドバイスに振り回されないようにしたいものです。

どんなに親しい間柄であっても、人との間にはいつも「こぶし大」を開ける。自分は自分、相手は相手、と距離を置き、自分の反応を大切にしながらちょっと耳を傾けるくらいがちょうどよいのです。

「ああ、この人はそう思っているのか」「そうか、そういう考えもあるのか。自分はそれについてどう思うだろう」と、相手との間に境界線を引くことができれば、「誰かの何気ない言葉」を真に受けて苦しむことはなくなります。

以前、クリニックに「会社で自分の悪口を言われているのではないかと不安で眠れません」という方がお越しになりました。お話を聞くうちに、あることないことをあちこちで話すお局さんの存在が見えてきました。私は、「堂々としておられたらいいですよ」とお伝えしつつ、意識が過敏になってしまう心のケアをと、漢方薬を処方しました。

うわさ話というのは、槍玉に挙げられている人よりも、不確かな情報で人を貶めようとしている人の品格の問題です。そのような相手のご機嫌をとろうと、自分の大切な時間を注ぎ込む必要はありません。自分の心を守るためにも、さっさと距離を置いて、その人の存在をできるかぎり忘れてしまうことです。

■「してあげる」は忘れる

<誰かになり代わって、課題を解決することはできません。いい人のふりをして、勝手に取り上げてしまわないことです>

「人の悩みごとばかり聞いていて、心が折れることはありませんか」と聞かれることがあります。精神科医として人の心やからだの悩みを診ていると、そのどれもが、自分の人生をあきらめていないからこそ生まれてくる、尊い思いなのだということがわかります。

その思いと人生に尊敬の念を抱きながら、自分ができる診療のため、目の前の方に接する日々です。

人はそれぞれが自分の人生を生きています。自分は自分であって、他の誰かになり代わることはできない――そんなことを、患者さんたちは教えてくれます。

思わず胸にこみ上げてくるような、おつらい環境の話を聞くことがあっても、患者さんの気持ちがわかるとか、自分が代わってそのつらさを解決してあげよう、なんて思うとしたら、それはおこがましい話だと思うのです。私にできるのは、漢方薬を使いながらその問題に向き合える心身を取り戻すお手伝いをすることです。

これは診療の場面だけではありません。相手の人生の課題を勝手に取り上げないこと、相手にその問題を解決する力があると信じて、立ち向かおうとするその姿勢を尊重したいな、と思います。

人と自分の間にきちんと境界線を引き、相手の人生を尊重することは、どんな人間関係においても大切なことだと思います。

■「逃げるは恥」を忘れる

<心とからだが限界を超える前に、スッとその場所から離れられる「隠し球」を持ちましょう。「逃げ道」をもっと前向きにとらえていいと思います>

「逃げ道」を用意しておくということが大切だと感じることがあります。

日本人の美学として、「困難を乗り越えることこそ素晴らしい」という考え方があるように思いますが、それは、あくまでも、よい環境で、自分の心身が健康的に機能しているという前提があっての話です。

「この会社を辞めたら他に行くところなんかありませんから」「私がいないと回らないんです」「逃げてはいけないですよね」「責任があるので辞められなくて」――診察室でそうおっしゃる方には、「本当にそうですか?」と問います。

自分の心身が壊れてしまう前に、自分を安心できる環境に連れていくことは人生の大切な選択です。

目の前の過酷な環境や自分のつらさを見て見ぬふりをするのは、仕事やその環境からは逃げていなくても、自分自身からは逃げているということだと思うのです。

「これがダメでもこっちがある」と、逃げ道を持っておくことは、「人生の大切な隠し球」を持つことであり、軽やかに生きる技術でもあります。

「ここしかない」「これを成し遂げないと先がない」と思うよりも、「いざというときは、次の場所に行けるから大丈夫」という道があれば、リラックスして目の前のことに取り組めます。いい結果も出て、結果的に逃げなくてもいい状態を生みます。

「逃げ道」という言葉を、もっと前向きに、肯定的にとらえてみるといいですね。道は多いほうがよいはずです。

【PROFILE】

藤井 英子(ふじい ひでこ)

漢方心療内科藤井医院院長。医学博士。現在も週6で勤務する91歳の現役医師。

1931年京都市生まれ。京都府立医科大学卒業、同大学院4年修了。産婦人科医として勤めはじめる。結婚後、5人目の出産を機に医師を辞め専業主婦に。育児に専念する傍ら、通信課程で女子栄養大学の栄養学、また慶應義塾大学文学部の心理学を学ぶ。計7人の子どもを育てながら、1983年51歳のときに一念発起してふたたび医師の道へ。脳神経学への興味から母校の精神医学教室に入局。その後、医療法人三幸会第二北山病院で精神科医として勤務後、医療法人三幸会うずまさクリニックの院長に。漢方薬に関心を持ち、漢方専門医としても現場に立ってきた。89歳でクリニックを退職後、「漢方心療内科藤井医院」を開院。精神科医と産婦人科医としての視点から、心のケアに必要な漢方薬を処方することを人生の役目とし、日々診察に当たる。「心配には及びませんよ」「大丈夫ですよ」という声かけに「それだけでほっとした」という声も多い。

精神保健指定医。日本精神神経学会専門医。日本東洋医学会漢方専門医。

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