2022年1月、広島市で凍結した道路を夏用タイヤで走っていたトラックが、スリップして歩道にいた自転車と衝突する事故がありました。
自転車に乗っていた当時15歳の男子高校生は、この事故で右手を失う大けがをしました。
4日、過失運転傷害の罪で起訴されたトラックの運転手の初公判が開かれました。事故に巻き込まれた少年と、彼の両親に今の思いを聞きました。
2022年1月14日午前7時半ごろ、広島市安佐北区口田で、片側2車線の高架橋を北に向かって走っていたトラックが、時速40~50キロのスピードで車線変更した際、スリップしました。トラックは、縁石のある自転車通行可能な歩道に乗り上げて、歩道を走っていた少年の自転車と衝突しました。少年はトラックと欄干に衝突し、骨盤や右腕を骨折するなどの大けがをしました。
当時、路面は凍結していたということですが、トラックはいわゆる「夏用タイヤ」をつけて走っていました。
(以上、起訴状による)
この日の広島市は中心部の中区で最低気温が0.4℃。流れ込んだ寒気の影響で、前日(13日)には中区でも雪が舞っていました。
いつものように家を出たはずなのに…。学校から事故の知らせを受け、両親が病院に駆け付けたときには、少年は意識がない状態でICUに入っていました。
少年の父親
「最初は驚くばかりで、病院で実際にけがを見たときにはショックが大きくて…。もう祈るだけでした。手術に行く前に(医者から息子を)見せてもらったんですけど…」
少年の母親
「もう、わたしは泣き崩れてしまって…意識が戻るまでは、生きた心地はしなかったです」
手術は14時間に及び、少年の意識が戻ったのは事故からおよそ1週間が経過した後でした。106日間に及ぶ入院生活で繰り返した手術は20回。泊まり込みで看病を続けた母親は、麻酔が切れるたびに、けがの痛みや吐き気で苦しむ息子と2人で泣いたそうです。
懸命なリハビリの結果、立ち上がって自らの足で歩くことができたのは、事故からおよそ3か月後のことでした。
少年の父親
「歩いたときは、ひと安心しましたけど、本人がすごく努力している姿を見たときに、初めて前向きになれました」
右手の切除を余儀なくさせられたのは、退院後のことでした。利き手を失った本人はそれでも「左利きになろう」と、左手で食事をしたり文字を書いたりする訓練を続けました。
当時、両親が撮影した動画には、作業療法士に支えられながら、左手に持ったはしで豆粒をつかむ訓練を続ける、少年の真剣な表情が映っていました。
少年の父
「本人がよくがんばってくれていたので、こちらが勇気づけられた。がんばらにゃいけんなと」
少年の母
「生きてくれて、強い子だなと。逆に支えられました、前向きで」
入院中やリハビリ中、事故を起こした運転手に対してどんな思いを感じていたのだろう…。辛い時期のことをあまり話したくないという少年は、記者の質問に対して今の気持ちを手紙につづってくれました。
高校生のコメント(左手で直筆)
「私はこの交通事故をきっかけに、たくさんの素敵な医療従事者の方々に出会えました。入院中は支えてくださり、感謝しています。私も素敵な医療従事者になりたいと思うようになりました」
少年はことし、高校3年生になりました。大学に進学し、自分を支えてくれたような作業療法士になることが今の目標です。
過失運転傷害の罪で起訴されたトラックの運転手は、4日の初公判で「事故を起こした事実に間違いはないが、路面の凍結は予測できなかった」などと話しました。
検察は、高校生の母親の供述調書を読み上げました。この中で母親は「これまでの生活がこの日を境に一変しました。息子は重いハンディを一生背負って生きていかなければなりません。背負うものが大きすぎます」と訴えました。
そして検察側は「路面の凍結は予測できたのに、不用意に車線変更しブレーキを踏んだ」などとして、禁固1年10か月を求刑しました。
一方、弁護側は、「当時、雪はやんでおり、現場の上り坂は路面が乾燥していて凍結をうかがわせるものはなかった。真摯に結果の重大さを受け止め、被害者の現状に関心を寄せながら後悔し続けている。日頃から無謀な運転をしてきたわけではなく、被告人には更生の機会を与えるべきだ」と述べました。
裁判は結審し、判決は19日に言い渡されます。