「喧嘩無敗」の都市伝説を持つ栗原勇蔵、“元不良”岡田監督とのヤンキー秘話を明かす

昨年のJ1を制した横浜F・マリノスは、今シーズンも首位と連覇に向けて突き進んでいる。

そうしたなか、那須大亮のYoutubeで坂田大輔、栗原勇蔵とのプチマリノス同窓会が行われた。

マリノスのクラブシップキャプテンとして活動する栗原だが、「喧嘩無敗」という都市伝説を持っている。それについてはこう話していた。

「そんな話、需要あんの?(笑)

(あくまで)噂、噂。

(喧嘩無敗からタイマン無敗など)だんだん話がちょっとずつズレていく…。

そんなのやってないよ。みんな、あるでしょ?じゃれ合いは。

1回もやってないから無戦無敗なのよ、響きはいいじゃん。無戦だから」

喧嘩無敗は噂と煙に巻いた栗原。先輩である那須曰く、栗原の腕っぷしは滅法強く、当時流行っていたPRIDEの真似事をしても一回も勝てなかったとか。

その栗原と坂田は横浜市出身だが、2人はこんな話もしていた。

坂田:横浜がそういう地域だよね。

栗原:その当時は結構ヤンチャな人多かったじゃない、時代だよ。

坂田:今いないじゃん、横浜歩いていても。(当時は)めちゃくちゃ多かった。

栗原:噂ではね、ヤンキー漫画によく出てくるのは湘南とか横浜が多かったじゃん。特にうちらは横浜っていっても、ド田舎のほうのヤンキーが多そうなエリアだったから。

坂田:めちゃくちゃ子供の数も多かったし、そうしたら(そういう人も)いるよね

ちなみに、ともに1983年生まれの栗原は横浜市瀬谷区、坂田は港南区出身。

そのうえで、栗原は当時の岡田武史監督との秘話も明かしていた。

「(岡田さんも元不良だったのは)有名な話。

一番最初に会った時に、お前、悪そうなツラしてんなぁみたいに言われて。

なんでですか?って言ったら、俺もこれのこれだったんだから分かるんだよって言われて(笑)。

これのこれってことはリーゼントにボンタンを履いていた。それで、コレ(眼鏡)でしょ、本当かよって思って(笑)」

ボンタンというのは1970~80年ごろに流行した不良学生のズボンスタイル。

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那須によれば、岡田さんは負けん気の強い栗原のことをいたく気に入っていたそう。

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