32年ぶり聖地目指す彩星工科、指揮官は名門元監督 不適切指導で去った現場、復帰の誓い「言葉尽くす」

グラウンドで練習メニューを指示する彩星工科高野球部の平田徹監督(中央)=神戸市北区ひよどり台南町4

 2日に開幕した第105回全国高校野球選手権兵庫大会で、1991年以来32年ぶりの甲子園出場を目指す彩星(さいせい)工科高(神戸市長田区、旧・神戸村野工業高)。古豪を率いるのは、かつて横浜高(神奈川県)を甲子園に導いた平田徹監督(40)だ。2019年に不適切な指導が問題になり、名門を去ったが、「言葉を尽くす」指導法に改め、神戸で再起。9日の初戦に臨む。(千葉翔大)

 6月上旬、同市北区のグラウンドを取材に訪れると、平田監督が打撃練習の投手役を務めていた。選手相手に約250球を投じた後も、「大したことない」と涼しげだ。

■名門が故の重圧

 これまでに14回、甲子園の土を踏んだ平田監督。1999年に横浜高に入学し、3年時には主将として夏の甲子園で4強入りした。大学でも野球に打ち込み2006年、コーチとして母校に復帰。15年秋に監督に就任すると、16年夏からは3年連続でチームを夏の甲子園に導いた。

 輝かしい成績を残す一方で、常に「優勝」の2文字がプレッシャーとしてつきまとった。

 そして19年秋、指導者人生が暗転する。夏の県大会準々決勝で敗れ、甲子園連続出場がストップ。翌春の選抜甲子園に向けて新チームが始動したとき、主力選手の練習態度が目についた。全力疾走せず、失敗してもやり直さない。「なぜやろうとしない」。ミーティングでそう問い詰め、選手の襟元を両手でつかんだ。

 「感情的になってしまった。私の器量不足だった」と平田監督。その日の夜のうちに選手と話し合ったが、数カ月後、野球部長(当時)が部員に対し暴言を繰り返している-といった報道を機に、平田監督の行為も調査対象になった。数日後、役職を解かれ、高校を追われた。

■見つめ直す時間

 村野工高野球部顧問として現場復帰するまでの約2年半の間は、指導者としての自己を見つめ直す契機になった。

 教え子に勧められ、野球を始めたばかりの子どもや、付き添いからコーチを務める父親ら向けに、動画投稿サイト「ユーチューブ」で送球や打撃論を伝え始めた。視聴者に疑問を抱かせないため、指導する言葉に「説得力を持たせる」ことを心がけた。

 「これまでは漠然とした考えを伝えることがあったが、言葉を尽くす大切さに気づいた。練習の目的などを論理的に説明することで、選手の成長につながる」と平田監督。「私の経験を整理し、発信することで、自分を客観的に見つめられた。あの時間は本当に大きかった」とも。

 そして、現場復帰したグラウンドには、平田監督が選手に問いかける声が響いている。「考えてごらん」「違うなら教えてくれ」-。選手の意見を引き出すことに、より一層心を砕く。

 過去に言い訳するつもりはない。ただ、選手と向き合う中で葛藤もあるという。例えば選手を叱った日の夜。「気にしてないかな」「練習頑張ってくれるか」との思いが頭をもたげる。

 それでも、と平田監督は力を込めた。「選手を子ども扱いしたくない。良い部分は手をたたいて褒めるし、社会に出ても恥ずかしくないよう、マナーなどは厳しく教えたい」

 今大会初戦は9日、G7スタジアム神戸(同市須磨区)で明石城西高(明石市)と対戦する。聖地への道のりが険しいことは百も承知だ。だからこそ「甲子園には言葉で表現できない感動がある。選手はもちろん、保護者、学校、そして地域に感動を届けたい」と力を込める。

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