安倍元首相が細心の注意を払った「ジンクス」 【コラム・明窓】

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 「政治は数、数は力だ」という〝数の論理〟を政界に根付かせたのが田中角栄元首相。他派閥の議員にまで資金を提供し、支持を広げた。成果が出たのが1972年の自民党総裁選。本命の福田赳夫氏を破り、首相の座に上り詰めた。

 確かに数は力の源泉だろう。とはいえ、多すぎても具合がよくないようだ。「鉄の団結」と呼ばれた田中派は140人超に膨張。田中氏が新参者を重用したため、一部で不満が噴き出した。それを受け、側近だった竹下登氏が勉強会「創政会」を85年に立ち上げ。2年後に田中派を割って竹下派を創設した。

 歴史は繰り返す。100人を超えていた竹下派も、金丸信氏の議員辞職で会長を失うと主導権争いが勃発。結成から5年で分裂した。

 いつしか永田町では、所属議員が100人を超えると派閥が分裂するというジンクスが生まれた。首相を退任後、細田博之氏から派閥を引き継いだ安倍晋三氏も「100人を超えないように」と繰り返し、自身に近い議員を他派閥へ送り込むなど規模感の維持に細心の注意を払ったという。

 安倍氏が凶弾に倒れて1年を迎えた。主(あるじ)なき安倍派は4月末〝危険水域〟の100人に到達。分裂のリスクを抱え、後継会長を決められない。ただし、有権者が本当に知りたいのは後継人事ではない。最大派閥と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係だ。数の力で曖昧にしてほしくない。

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