「いじめられる側にも落ち度」は“絶対にない”…いじめ被害者が頼るべき「法の力」とは

遠藤研一郎『僕らが生きているよのなかのしくみは「法」でわかる 13歳からの法学入門』より(漫画:石山さやか)

2021年に北海道旭川市で発生した、いじめを受けていた当時中学2年生の女子生徒が凍死した事件を契機に、「いじめ行為は犯罪に当たるのか」という議論が以前にも増して広まりました。

実際に「いじめは犯罪」なのか、一部にある「いじめられる側にも原因がある」という意見は正しいのでしょうか。親が子どもに伝えるべき“いじめと法律”に関する基礎知識を、中央大学法学部の遠藤研一郎教授(民事法学)が解説します。

※この記事は、遠藤研一郎教授の著作『僕らが生きているよのなかのしくみは「法」でわかる 13歳からの法学入門』(大和書房)より一部抜粋・再構成しています(漫画:石山さやか)。

「いじめ」ってなんだろう?

さて、みなさんは、マンガのリョウくんが「いじめ」を受けていると思いますか? 受けていると思うのであれば、どの部分がいじめだと思いますか?

私は、マンガに出てくるすべてのことが、いじめにあたる可能性があると思います。それはなぜでしょうか?

その答えは、「いじめって何か?」のなかにあります。日本には、「いじめ防止対策推進法」という法律がありますが、その法律2条1項は、いじめを次のように定義しています。

ちょっとわかりにくいでしょうか。つまり、いじめとは、ある生徒(加害者)が、ほかの生徒(被害者)を精神的に、または肉体的に攻撃することで、被害者の心や体が傷ついたり、被害を受けて苦しんだりすることを意味します。何がいじめにあたるのかは、決して形式的・表面的に決まるものではありません。ときに、悪ふざけ、遊び、じゃれ合いの感覚でされる場合もあります。そしていちばん大切なことは、加害者の生徒にいじめている自覚がなくても、被害者が苦しいと感じれば、それはいじめになりうるということです。「ふつうなら、これくらいは大丈夫でしょ」というのは通用しません。相手方が傷つけば、それは、いじめとなるのです。

なお、いじめは、大人の目につきにくい場所や形でおこなわれる場合も少なくありません。陰湿ですね。いじめられる側の生徒も、「親などに心配されたくない」とか、「先生にチクったら、仕返しが怖い」という気持ちが先行して、隠す場合もあります。また、最近は、SNS上でなされるいじめも増えています。気軽に使えるスマホなどは、いじめの現場になりやすいのかもしれません。

いじめたら、どんな法的責任を負うのだろう

読者のみなさんにわかってもらいたいのは、「いじめの多くは、刑法上の犯罪にあたる行為だ」ということです。軽く考えてはいけません。国家から刑罰が与えられる、れっきとした犯罪なのです。

どんな犯罪にあたるのでしょうか? たとえば、下のような感じです(図表のなかの「〇〇条」というのは、全部、刑法の条文を指します)。

それ以外にも、犯罪になるかどうかとはべつに、加害者が被害者に賠償する(多額のお金を支払う)という法的な責任も発生します。いわゆる「民事責任」というものです。それだけ、いじめは、人としてやってはいけないことなんです。

だれがいじめの加害者なんだろう?

もうひとつ、いじめの加害者ってだれなのか、考えてほしいと思います。先ほど挙げた、リーダー格の生徒がリョウくんの頭を小突いた場面を考えてみましょう。

なるほど、直接的にリョウくんを小突いているのは、リーダー格のみ。まぁ、一緒にいた残りの2人も同じくらい悪いかもしれません。でも、問題があるのは、その子たちだけでしょうか? いじめは、いじめた子(加害者)といじめられた子(被害者)という「二者の対立関係」だけだと考えてはいけません。どういうことでしょうか?

周囲で、はやし立てたりおもしろがったりしていた生徒はどうですか? その生徒は加害者ではないですか? たしかに直接的に関与していません。しかし、いじめを肯定的にとらえている「観衆」ということができます。

また、見て見ぬふりをしている生徒も、私たちは無関係だといい切れますか? いじめを否定しない「傍観者」は、場合によっては、いじめをやめさせようと思っている生徒に対して無言の圧力をかける存在になっていることも少なくありません。観衆だけではなく、傍観者ですら、いじめに加担しているのと同じだという考えもあります。

もしかしたら、読者のみなさんのなかで、「そんなきれいごといったって、優等生ぶっていじめを止めたら、今度は自分がやられる立場になるかもしれないじゃん」と思う人がいるでしょうか。そのとおりです。だから、私は、観衆や傍観者を軽々しく批判する気にはなれないのです。止める勇気がないだけで、本当はその生徒たちも傷ついているかもしれません。

ただ、私がみなさんに伝えたいのは、いじめを、加害者と被害者の個人的な問題(いわゆる「個」の問題)ととらえるのではなく、クラスなどの集団全体の問題としてとらえることが大切だということです。いじめが起きる現場と、その現場にいる人“全員”との間に、なんらかの因果関係が、必ずあると考えるべきなのです。

法の力を頼ってほしい

こんなことを書いている私には、少し、うしろめたさがあります。というのも、大人は、こぞって「いじめは、いけない」といいますが、そんな大人の世界にも、平気でいじめがあるのです。

大人の世界の場合、「ハラスメント(いやがらせ)」という形で現れますが、大きな意味では、いじめもハラスメントもちがいはありません。そして、ハラスメントは、社会のなかから全然なくなりません。セクハラ(セクシャル・ハラスメント)、パワハラ(パワー・ハラスメント)……。

ただ、大人は、読者のみなさんたちよりは少しだけ人生の経験が長く、それだけ嫌な思いもたくさんしているので、法を使って抵抗する方法を知っている場合が多いです。でも、みなさんのような学校の生徒は、とかく、法の世界や大人の世界に頼らず、子どもの世界のなかだけで解決しようとしがちです。気持ちはわかりますし、実際に、それがみなさんを精神的に成長させる可能性もゼロではありません。しかし他方で、いじめられた子が不登校になってしまったり、自殺してしまったりするなど、取り返しのつかない悲しい結末になる場合もたくさんあります。

ですから、もしみなさんがいじめを受けた場合には、ひとりで悩まず、まずは、だれか信用できる大人に相談をしてください。また、読者のなかに、もし、抵抗する術を知らずに悩んでいる大人が交ざっていたら、その人も同じです。

そして、場合によっては、「法」に頼りましょう。法は、いじめの被害から脱出するための有力な手段のひとつなのです。

「いじめられる側にも原因が」?

ところで私たちは、油断するといつの間にか、「いじめの加害者」になっていることもあるということを忘れてはいけません。先ほど確認したとおり、いじめは、「相手がどう感じるか」が大切です。わざと相手を傷つけるのは論外ですが、知らぬ間に傷つけることだってあるのです。そこで、この項の最後にひとつ質問です。

Q. いじめはたしかに悪いことだけど、いじめられる側にも、いじめられる理由(原因)がある場合が多いので、一方的にいじめる側だけが悪いわけではないと思う?

この問いに対する正解は、ひとつしかないと私は思います。いじめられる側にも落ち度があるからいじめが起こるということは、絶対にありません。というよりも、そのように考えてはいけないと思います。その子が、いじめられる原因はなんでしょうか? 少し変わったところがあるから? 性格が悪いから? 何かが劣っているから?

でも、考えてください。完璧な人など、どこにもいません。私も含めて、みんな少しずつ変わったところを持っているし、至らないところがあるし、不得意な分野があります。「あいつは〇〇だから、いじめられてもしょうがない」というのは、自分を、そしていじめを正当化するための道具(言い訳)にしかすぎません。

■書籍情報
『僕らが生きているよのなかのしくみは「法」でわかる 13歳からの法学入門』
著者:遠藤 研一郎
出版社:大和書房
発行年月:2019年6月

「いじめって犯罪なの?」
「ネットにバイト中の悪ふざけをアップしたらどうなるの?」
「“表現の自由"があるんだからSNSにどんな悪口を書いたってOK?」
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