米国民が知らない不都合な真実――米核実験による放射能汚染の実態を日本人監督が映画化

1951年から始まった米ネバダ州の核実験(映画「サイレント・フォールアウト」より)

1950年代から60年代にかけて米ネバダ州で行われた900回を超える核実験はネバダ周辺だけでなく、2000マイル離れたニューヨークまで核物質が拡散していた。米原子力委員会は、詳細な調査をしてそれを確認していたが、米国民には知らされていなかった。そのため、ラスベガスでは核実験ツーリズムによって観光客が押し寄せるほどだった。今もなお米国民のほとんどが知らないこの事実を、詳細な資料の分析と丹念な取材で明らかにした映画「サイレント・フォールアウト~乳歯が語る大陸汚染~」は、核兵器をもつことがどれだけ大きなリスクと引き替えなのかを浮き彫りにする。映画では核実験により被ばくをした米国民や、その影響を研究する研究者らが登場し、当時の様子、その後を生々しく語る。監督の伊東英朗氏に、映画を通じて何を伝えたいかを聞いた。(環境ライター 箕輪弥生)

米政府が隠していたネバダ核実験による被ばくの影響

「悲しいけれどほとんどのアメリカの人はこの事実を知らないんです」と話すセントジョージ市在住の女性(映画「サイレント・フォールアウト」より)

映画監督の伊東英朗氏によるシリーズ「放射線を浴びたX年後」の第3作目「サイレント・フォールアウト~乳歯が語る大陸汚染~」は、米国民が知らない核実験による“見えない放射性落下物”「Silent Fallout」について、5000ページにわたる文書を読み解き、30人の証言者の言葉をもとに明らかにしたドキュメンタリー映画だ。

今から60年以上前、1949年のソ連の原爆実験の成功を受けて、米国はより破壊力のある核兵器の開発を急いでいた。このため、米ネバダ州核実験場では1951年から核実験が始まり、100回の大気圏内核実験を含む計928回にも及ぶ実験が行われた。

この核実験の影響は周辺地域のみならず、2000マイル離れたニューヨークでも、コダック社のフィルムが放射能によって感光してしまったことからも確認されている。

米原子力委員会は、最初の核実験の直後から調査用の飛行機を飛ばし、詳細な調査をして、米国全土に放射能汚染が及んでいることを確認していた。

公的なデータを元に地図に表示された核実験による放射性物質の広がり(今回の映画で取材した研究者による)

しかし、その事実は米国民には知らされなかった。ネバダから80キロ離れたラスベガスでは、核実験ツーリズムで注目されて一気に観光客が増えていたほどだ。映画ではラスベガスのホテルのプールサイドで水着姿のまま核実験で生じたきのこ雲を見物する姿が紹介されている。

さらに映画ではセントジョージやソルトレイクシティなど核実験場からほど近い街に60年代から住んでいた市民の声も紹介する。多くの人が、がんや腫瘍で亡くなったり、病気を患ったりしている。ある被ばくした市民は映画の中で「自分は事実を伝える重い責任がある」と語る。

伊東監督は、20年近くビキニ環礁をはじめとする太平洋地域で、ネバダでの実験とほぼ同時期から始まった水爆実験によるマグロ漁船の被ばくについて克明に、「放射線を浴びたX年後」の前作2本で描いている。

これらの水爆実験では、広島型原爆の1000倍から1500倍と言われる破壊力のある水爆によって、爆発して拡散した放射性物質が成層圏まで達し、世界全体に広がったという。

伊東監督はこの映画を米国で上映した際に、核実験の影響が米国民にもあることを、誰も知らないことに非常に驚いた。そして「彼らが事実を知れば何らかのアクションを起こしてくれるのではないか」と思い始めたことが今回の3本目の映画をつくる直接の動機となったという。

乳歯プロジェクトを実施した女性たちの力が大気圏内核実験中止につながる

1959年当時に送られてきた乳歯プロジェクトの会員証とピンバッチ (映画「サイレント・フォールアウト」より)
ルイーズ・ライス医師

多くの放射性物質を拡散させていた核実験だが、1963年、大気圏内での核爆発実験を禁止する条約が制定された。これは、米国中西部ミズーリ州セントルイス市に住むルイーズ・ライス医師が中心になって始めた乳歯プロジェクトが大きな影響を与えている。

当時、核実験による子どもたちの被ばくを証明するために、米国の女性たちが立ち上がったのだ。そして、子どもたちから抜けた乳歯をまず約6万本を集めて分析したところ、子どもたちの体内のストロンチウム90の量が通常時の30倍になっていたことを突き止めた。

ライス医師らが行った乳歯プロジェクトでは、乳歯からストロンチウム90が発見されたことで、子どもたちの被ばくが証明された (映画「サイレント・フォールアウト」より)

乳歯はカルシウムでできているので、ストロンチウムを吸着しやすく、被ばくの影響が表れるからだ。

女性たちはこのことを重く捉え、米国全土60都市でストライキを実施、ライス医師らはその結果を科学雑誌「サイエンス」に掲載し、それを当時の大統領であるジョン・F・ケネディ大統領に送った。それが、大気圏内核実験中止という大統領の英断につながったのだ。

伊東監督は「地下核実験は続いているものの、大気圏内での実験が中止されたことの意味は非常に大きい。このまま続いていたらアメリカが、世界がどうなっていたか」と話す。

監督によると、最終的に集められた32万本の乳歯の一部は、現在ハーバード大学でその後の追跡調査が行われ、結果が近々発表される予定だ。“ただちに影響の出ない”放射能は60年以上たった今、当時被ばくした人たちにどんな影響が出ているか、この研究で明らかになるはずだという。

22年6月から8月にかけて米国で撮影を行った伊東監督。ネバダ核実験場近くにて

伊東監督は「女性の行動がアメリカを救った。政治をチェスのように考える男性の論理ではなく、命に目を向ける女性の行動こそが変革を起こす」と説く。

さらに「核兵器は誰のためのものなのか、国を守ると言うが、その中に国民が含まれているのか?」と監督は問いかける。この映画でも明らかになったように、「米国は核兵器を持つために行った核実験で自分の国の人たちに甚大な被害を与えている」。

もちろん日本も米国の水爆実験の影響のみならず、ロシアや中国、イギリスの核実験、福島第一原発の事故から多量の核物質にさらされている。

伊東監督は「まず事実を知ること、そして核兵器を持つということは、自分や家族やみんなの命を知らないうちに捧(ささ)げているんだということを知った上で考えてほしい」と訴える。

*日本での映画上映は自主上映で行っている。
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