「高岡発ニッポン再興」 その89 金沢では歴代市長と市職員がすごい

出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・今の金沢があるのは「歴代市長、そして市職員がすごかった」と前金沢市長。

・景観条例がつくられたのは金沢市が日本初。

・金沢市では脈々と、先輩を慕う心がある。

2015年春に北陸新幹線が開業して、「金沢一人勝ち」と言われています。歴史文化都市として、観光客が殺到しているのです。また、ホテルや商業施設などの建設ラッシュ。地価も上昇しています。一方、高岡市は、新幹線開業したものの、分離駅ということもあり、中心部はひっそり静まり返っています。改めて、金沢市を学びたい。私はそう思って先日、高岡市内で山野之義前金沢市長に講演していただきました。

「今の金沢が元気なのは、私以前の歴代市長、そして市職員がすごかったらなんです。本当に先輩たちに感謝しています」。

▲写真 高岡で講演する山野之義前金沢市長(筆者提供)

12年近く市長を務めた山野さんの言葉に、私は驚きました。前任者を褒める人などあまりいません。謙虚な人と思いながら、話を聞きました。

山野さんはこう切り出しました。

金沢市は、高岡市同様に、戦災にあっていません。古いまちなみが残っているのです。そのまちなみを守っていくための条例がどんどんできました」。

パワーポイントが映し出すスクリーンに、金沢の景観まちづくり関連条例をずらりと並べました。改正したものの含めて、その数は実に14本。最初は、伝統環境保存条例。景観条例の先駆けが1968年に金沢でできたのです。「金沢市は景観条例を日本で最初につくりました」。

この年は、東京オリンピックから4年しかたっていません。高度経済成長の真っ盛りなのに、早くも景観を意識したまちづくりが始まったのです。それをつくったのは、当時の徳田與吉郎市長。著名な日本画家の東山魁夷氏らと議論して制定したのです。それ以降「保存と開発」をまちづくりの基本としました。

条例化すれば、具体的なテーマでまちなみを守っていくメッセージになります。山野さんはこう言います。「景観まちづくり関連条例を最も多くつくった市長は、私の前任の山出保さんです。山出さんは『地方自治のスーパースター』、イチローや大谷翔平のような存在です」。

山出さんは、用水管理条例をつくりました。中心市街地で、暗渠化された用水の蓋を開けることにつながりました。水の流れが見える、まちなみになったのです。高度成長時代、道を広げるため、用水路がどんどん暗渠化されましたが、その流れを変えたというのです。山野さんによれば、店の前に車を止めていた商店主の中には反対意見もありましたが、当時の市職員らが説得。結果的には、美しいまちなみとなり、地価も上昇したそうです。

それにしても、多くの種類の条例があります。その謎を解くため、私は山出保さんの著書、「まちづくり都市 金沢」(岩波新書)を紐解きました。

山出さんは、まちづくり関連条例がすべて個別条例になっている点について、「金沢の地形や風景の多様性によるものです。また、個別条例にすれば、条例の名称だけで政策目的を窺うことができます」と指摘しています。

山出さんは1990年に初当選し、実に5期20年にわたって市長でした。6期目の挑戦を阻んだのは、山野さんです。しかし、山野さんは「私は選挙で戦いましたが、山出さんのことを心から尊敬しています」と話します。私はその言葉は本心であると思います。金沢市では脈々と、先輩を慕う心があるような気がします。

トップ写真:暗渠の蓋を開けた、金沢中心部の用水路(執筆者提供)

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