「実は仲が悪かった」サッカー選手の有名コンビ、10組

サッカー選手と言っても人間であり、それぞれの関係は良いものもあれば悪いものもある。ただプロフェッショナルとしてピッチ上ではともに勝利に向けて戦うものだ。

今回は『Planet Football』から「互いに憎しみ合っていた名コンビ」10組をお送りする。そこまで険悪だったというわけでもない選手も含まれているが…。

エマニュエル・フリンポングとサミル・ナスリ

チーム:アーセナル

2019年のインタビューでフリンポングは「正直に言えばナスリを一度も好きになったことはないし、これからも好きになることはない。50億ドルもらっても好きにはならない」と語っていた。

その敵意は当時19歳のナスリがリヴァプール戦後に見せた振る舞いに端を発している。ドレッシングルームでナスリは「負けたのはフリンポングのせいだ」と叫び続けていたという。

その後、フリンポングがSNSでシティに移籍したナスリを批判する投稿をすると、脅迫の電話がかかってきたという。「ナスリが電話をかけてきて脅迫してきた。僕は『君を恐れるような男ではない』と答えた。彼のことは好きではないし、選手としても人としても尊敬しない」とフリンポングは回想している。

テディ・シェリンガムとアンディ・コール

チーム:イングランド代表、マンチェスター・ユナイテッド

一緒にピッチに立っている間、イングランドでもマンチェスター・ユナイテッドでもこの二人のコンビは1試合に1ゴール以上を決められるパフォーマンスを見せていた。しかしシェリンガムとアンディ・コールの関係は非常に悪かった。

1995年のウルグアイ代表戦でアンディ・コールは途中出場でイングランド代表デビュー。ところが交代になったテディ・シェリンガムがアンディ・コールと握手を拒否し、強烈なライバル心を顕にした。

和解したのはお互いが引退してから10年が経ってから、ナイトクラブで偶然会ったときであったという。アンディ・コールから「過ぎたことは忘れて前に進もうぜ」と申し出があり、シェリンガムがそれに応えて握手をしたという。

ローター・マテウスとシュテファン・エッフェンベルク

チーム:ドイツ代表、バイエルン・ミュンヘン

バイエルン・ミュンヘンでもドイツ代表でも名選手として崇拝されるローター・マテウスとシュテファン・エッフェンベルク。ピッチ上では素晴らしいプロフェッショナルであったが、ピッチ外で仲が悪かったことは有名だ。

中盤でコンビを組んだことも少なくなかったが、彼らの性格は決して落ち着いたものではなかったし、エッフェンベルクはマスメディアを通して「マテウスはビッグマウスのくせに意気地なし」と批判した上、さらに自伝では「マテウスが知っていること」というページを作り、そこだけ白紙で発売した。

一方でマテウスもエッフェンベルクがバイエルン時代に連絡を怠ったことを批判したり、対立関係を顕にしていた。

クレイグ・ベラミーとヨン・アーネ・リーセ

チーム:リヴァプール

非常に有名なリヴァプールでの確執の一つ。チームとしてバルセロナを訪れたとき、ベラミーはリーセに対して「カラオケを歌ってくれ」と求めた。しかしリーセはそれを断り自室へと戻った。

すると夜、ベラミーはリーセの部屋を訪れ、手にしたゴルフクラブで殴ったのだという。ベラミー自身がこのエピソードを自伝で明かしたことで大きな話題になった。

ただ、この際の試合ではベラミーもリーセも活躍し、バルセロナを相手にカンプ・ノウで2-1と勝利を収めた。そしてゴールを決めたベラミーはゴルフのパフォーマンスを見せている。

アリエン・ロッベンとロベルト・レヴァンドフスキ

チーム:バイエルン・ミュンヘン

右サイドからカットインして強烈なシュートを放つという確固たるスタイルを持っていたアリエン・ロッベン。それはファンにとってエキサイティングなものだったが、ともにプレーする選手にとっては難しいところもあったという。

バイエルン・ミュンヘンでチームメイトになったレヴァンドフスキはロッベンのある意味自分中心なプレーに納得できず、ピッチ内でいい関係を作ることに苦労していたという。ただ、特にピッチ外では仲が悪かったというわけでもないようだ。

イェンス・レーマンとマヌエル・アルムニア

チーム:アーセナル

ドイツ代表やボルシア・ドルトムント、アーセナルで活躍したGKイェンス・レーマンは、エキセントリックな性格を持っていた選手として有名だ。オリヴァー・カーンとも関係が悪かったことで知られている。

アーセナルで同じGKのポジションを争ったマヌエル・アルムニアは逆の性格で、人当たりがよくチームメイトからとても好かれていた。そのせいもあってか、レーマンはかなりアルムニアに当たりが強かった。

現地のメディアでレーマンはアルムニアを批判する発言を繰り返し、そして「30代になってからプレーを始めたような選手の後ろでベンチに座っているのは面白くない」と言っていたという。

ロマーリオとエジムンド

チーム:ブラジル代表、ヴァスコ・ダ・ガマ

1999年にロマーリオがヴァスコ・ダ・ガマに再加入したとき、ブラジル代表でもチームメイトだったエジムンドとコンビを組むことになった。

彼らはマスメディアを通して激しく議論する一方、ナイトクラブで女性を奪い合うというトラブルも起こした。強烈な個性と我の強さを持つ彼らは、特にピッチ外では利害が衝突して全く上手く行かなかった。

エジムンドは後に「我々がナイトクラブに到着したとき、一方の隅にロマーリオがいた。私のほうが彼女とうまくいったが、我々は衝突しなければならなかった」とその女性トラブルについて回想している。

ウィリアム・ギャラスとコロ・トゥレ

チーム:アーセナル

アシュリー・コールとのトレードという形でアーセナルにやってきたウィリアム・ギャラス。背番号10を着用したことでも有名だ。そして当時まだピークにあったコロ・トゥレとコンビを組むことになった。

しかしながらこのセンターバック二人の間には緊張があり、ほとんど会話もなかったという。それによってトゥレはアーセナルでのキャリアを諦め、マンチェスター・シティへと移籍することを決めたそう。

「誰かと一緒にプレーしているとき、ピッチ上でお互いに話すことすらないのであれば、とてもむずかしいことになる。我々のうちの一人が退団しなければいけなかった。そしてそれが私だったし、チームを難しい立場に追い込んだ自分が出なければならないと思っていた」とコロ・トゥレは後に明かしている。

ズラタン・イブラヒモビッチとラファエル・ファン・デル・ファールト

チーム:アヤックス

イブラヒモヴィッチは数々の確執を起こしてきた選手だ。ミドやジョゼップ・グアルディオラなどとトラブルがあったことで知られているが、その中でもアヤックス時代のラファエル・ファン・デル・ファールトとの衝突は有名なものだ。

彼らは国際試合でスウェーデン代表とオランダ代表として対戦。その時に負傷したファン・デル・ファールトは「イブラヒモヴィッチに怪我させられた」と主張した。そしてそれに対しイブラヒモヴィッチは反発。「そんなわけがあるか、謝罪しないなら本当に足を折ってやる」と返した。

マウロ・イカルディとマキシ・ロペス

チーム:サンプドリア

かつて友人であったというアルゼンチン人のストライカー二人。彼らの仲を引き裂いたのはサンプドリア時代の出来事だった。

マキシ・ロペスの妻であったワンダ・ナラがマウロ・イカルディと不倫し、最終的にワンダ・ナラは離婚してマウロ・イカルディのもとへと去っていった。

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イカルディはのちに「彼は特に親友というわけではなく、たまたまマキシ・ロペスと関係が悪くなったときにワンダ・ナラと付き合い始めた」と明かしている。そして後に対戦するときにマキシ・ロペスはイカルディとの握手を拒否している。

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