起業原点=クルージングパーティー

社名の由来・・・熱意と情熱!

私が、ジールを創業してから30年の月日が経ちました。起業当初は船も無く、それどころか資金も経営ノウハウも全くありませんでした。唯一あるのは「クルージング事業をやりたい」「絶対に日本で流行らせたい」との情熱だけでした。

ジールという社名の由来はそこから起因、熱意と情熱を英語で表現し、ソニーやホンダのような大企業を手本にして3文字の社名に決めました。この社名にしたことは今でも大変気に入っており、若かった頃の自分を褒めたいとも思います。

クルージングパーティー・・・価値サービスの提供

出会いは、前職のサラリーマン時代にありました。その会社は、プレジャーボートの輸入販売、修理メンテナンス、船舶免許のスクールなどを行う会社でした。1989年1月に入社してバブル景気真っ盛りを駆け抜けました。創業から入社し、当初は誰でも船を簡単に販売出来る様な好景気で、直ぐに何隻かの船を販売し、メンテナンスや運航管理等を行っていました。

電話一本で高額な船がポンポンと売り買いされるのを目の当たりにしてきました。そんな絵に描いたようなバブル時代を体験しました。しかし、バブルは数年で弾け、船など全く売れない時代へとすぐに突入してしまいました。そして、船は売れなくなっても管理をしている顧客の船が数隻あり、生き残る道を探し何か活用できないかを日々探していました。

綺麗な夜景・・・鉄板クルーズ商品

勝鬨橋を通過するクルーズ船・・・綺麗な夜景は至福な宝物!

そんなある日、「東京港の夜景は綺麗」なことに気づき、顧客の船をお借りして「クルージングパーティーが出来ないか!?」と思い、簡単なチラシを作って船が停泊する場所の近隣に配ったところ、ある食品会社さんが社内イベントで利用してくれることになりました。夏の夕暮れ時に出航し隅田川を遡上、東京タワーなどの夜景を楽しんでいただきながら、ケータリングで用意した料理と、缶ビールやワインを楽しんでもらいました。

その時のお客様の様子がものすごく印象的で、船がこんなにも人を感動させることができることに驚き、クルージングサービスの魅力と事業性を確信したものです。翌日から船そのものを売ることより、船を使った価値あるサービスを届けることに没頭しました。

熱意から誕生・・・会社経営へのチャレンジ

ところが、景気はどんどん悪くなります。それまでは何とか我慢してやって来た事業が暗礁に乗り上げ、同じ会社で、このまま仕事を続けることに限界を感じるようになりました。身の振り方を探し、再就職するかどうか大変迷いましたが、どうしても日本でクルージングサービスの事業やりたいと思い、身近な方々に相談をしたところ、私の熱意が伝わり、協力を得ることができました。

株式会社を起業するというズブの素人が会社経営を行うチャンスに恵まれたのです。とはいえ、初めから営業が出来るような船舶を手に入れることはできません。船を所有している方や旅客船の運航会社と交渉して、時間単位で船をお借りするチャーター専門のクルージング手配会社としてスタートいたしました。

湾岸エリア・・・次々と誕生する「マリンビジネス」

開業当初は東京港にレインボーブリッジが開通し、湾岸エリアの様相は、一気に変化して来た時期でもありました。話題性もあり、すぐに発注をいただきました。一般企業の部・課単位でのイベントや季節の行事などでご利用いただき、契約件数も伸びて2年目には黒字化に成功。

昼間のクルーズ船利用は、
新しいマリンビジネスを誕生させました!

通常の船上パーティー以外に「ブライダル」「ドラマ」「テレビCM」などでも船を使いたいと相談がありました。まさしく、クルーザーや旅客船を活用した新しい形の「マリンビジネス」が誕生したのです。

当時は現在運航している不定期旅客船の利用できる桟橋は、晴海埠頭にしかありませんでした。屋形船やクルージングに参入する会社も増え、お客様の乗降にも使いづらい時期が経過しました。それでも、お客様が喜び感動するのを体感できるのはとても幸せでした。海の世界で人がまだ手をつけていない分野に進出することは、やりがいを感じたものです。

これが、私どもが提供する舟運観光ビジネスの起業原点です。初めは船も持てなかった私が、価値あるクルージングサービスを提供するには、手配ビジネスから脱却し、船会社へと歩んでいく道を選択し、価値サービスを提供することに船出したわけです。

寄稿者 平野拓身(ひらの・たくみ) ㈱ジール 代表取締役社長

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