奈良県の戦争史、児童書に 興福寺の「仏像疎開」題材に発刊

「列車にのった阿修羅さん」を執筆した児童文学作家いどきえりさん(中央)と、マスダケイコさん(左)、深沢吉隆さん(右)=奈良市役所

 第二次世界大戦の終戦間際の1945(昭和20)年7月、戦禍が古都・奈良市にも及んだことから行われた興福寺の「仏像疎開」。これを題材にした児童文学作家いどきえりさん(68)=東京都=の児童文学書「列車にのった阿修羅さん 土蔵に疎開してきた国宝」(くもん出版)が発刊された。仏像をはじめ重要な文化財の疎開は国策で進められたが、秘密裏に行われ、広くは知られていない。描かれるのは、吉野町の民家の土蔵に、他の八部衆像などとともにひっそりと安置された国宝阿修羅像(奈良時代)と、受け入れた家族の暮らしや当時の世相。いどきさんは「奈良の戦争史の一端。子どもたちに伝えたい」と話す。

 仏像疎開は奈良でも、東大寺や興福寺などの国宝が郊外の寺などに移送された。仏像疎開を近年、新聞記事で知ったいどきさんは約1年後に取材を開始。興福寺や、今作のモデルとなった吉野町の舟知家など関係先に足を運んだ。

 仏像を迎えた家の当主のおじいさんが、羽織袴(はかま)姿だったことも家族から伝え聞いた。偶然にも、本の挿絵を手がけた奈良市出身の画家マスダケイコさん(37)=神戸市=はその家の遠縁。マスダさんも「取材に同行して、戦争の被害はなかったと聞いていた奈良にも戦争の時代があったんだと深く気付くことができた」と語る。

 しかし取材や聞き取りは簡単ではなく、疎開は奈良刑務所の受刑者が運び、「奈良を11時に出発し14時に吉野に着いた」ということのみでルートもはっきりしていない。本を監修した県立同和問題関係史料センター所長の深沢吉隆さん(58)は「疎開が秘密裏だったことを考えると、奈良駅を避け京終駅からと推測した。秘密だったのは盗難防止だけでなく、仏像まで疎開しなければならない現実を(国が)国民に知らせたくなかったのでは」。いどきさんも「信仰の対象である仏像を寺から移すということに、関係者の方々も相当な葛藤があったはず」と当時の暗い世相に思いをはせるとともに、「八部衆の一つで、戦闘神から平和を望む神に変わったという阿修羅と、軍国少年だった主人公の少年・総一郎の敗戦後の変化にはオーバーラップする部分もある」と語る。132ページ。税込み1540円。

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