獄中から精子持ち出し体外受精、100人超が誕生 占領下のパレスチナ、希望与える「自由の大使」

体外受精で生まれた三つ子を抱くルブナ・タハさん(右)と長女ラキヤさん=4月3日、ヨルダン川西岸ヘブロン(共同)

 生殖医療技術の発展で、今や世界中で行われている体外受精。イスラエル軍による占領や境界封鎖が続くパレスチナでは、当局に長期拘束される囚人家族の間で利用が広がっている。刑務所から精液をひそかに持ち出し、妻が体外受精で出産する―。にわかには信じ難いが、人権団体の集計によれば、そんな方法で生まれたとみられる子どもが100人を超える。イスラエルの占領に対する「抵抗運動」の一環とも位置付けられ、捕らわれの囚人から生まれた希望の子どもとして「自由の大使」と呼ばれている。(共同通信エルサレム支局 平野雄吾)

精子を凍結保存する容器を案内する胚培養士の女性=4月10日、ヨルダン川西岸ナブルスのラザンセンター(共同)

 ▽男の子が欲しかった
 イスラエルによる境界封鎖が15年以上続くパレスチナ自治区ガザ。南部ハンユニスに暮らすイマン・クドラさん(35)は2021年2月、イスラエル南部の刑務所に収監中の夫ムハンマドさん(37)の精子を使い、体外受精で長男を出産した。

 「娘が3人いますが、男の子が欲しかったんです。年齢も考え、親族全員の同意を得て体外受精に挑戦しました」
 イスラエル軍が地上侵攻した2014年のガザ戦闘で、ムハンマドさんは軍に拘束された。イスラエルがテロ組織に指定するイスラム組織ハマスへの所属を理由に、軍事法廷が下した判決は禁錮11年。釈放されるのは2025年の予定だ。
 ムハンマドさんは2020年春、釈放される囚人仲間の男性に自らの精液を入れた長さ2~3センチのプラスチックケースを託す。男性がガザ入域後、ムハンマドさんの父ユスフさん(78)にケースを手渡し、精液は不妊治療クリニックで凍結保存された。イマンさんは4回目の体外受精で成功した。ユスフさんが振り返る。
 「ちょうど新型コロナウイルスが流行していた時期で、検問所の検査が緩かったようです。普段ならイスラエル側の嫌がらせもあり、ガザに入るまで何時間かかるか見当もつきませんが、男性は出所後ほどなくして着いたんです。おかげで精液の質も保たれました」
 イマンさんを担当したガザの不妊治療クリニックのアブドルカリーム・ヒンダーウィー院長は「持ち込まれた精液を検査して凍結します。乾燥した容器で清潔に運ぶことが質を保つ秘訣です」と説明する。持ち出しにはペンやスナック袋、ナイロンケースなどが使われるという。
 ヒンダーウィー氏は「全ての人に子どもを持つ権利があります」と強調した上で「イスラエル拘束下のパレスチナ人は犯罪者ではなく、戦争捕虜です。パレスチナのために自らを犠牲にする彼らを支援できるのはうれしい」と語った。
 イマンさんは待望の長男に、アラビア語で「戦士」を意味するムジャーヒドと命名した。「夫のように勇敢な男になってほしい」。そんな思いを込めた。

イマン・クドラさんの長男ムジャーヒドちゃん=2022年12月、パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニス(イマンさん提供・共同)

 ▽組織的に実行
 刑務所から精液を持ち出すことは本当に可能なのか。イスラエルの刑務所当局者は共同通信の取材に対し「精液の持ち出しを見つけ、防いだことはある」と説明、そうした動きがあることは認めた。だが「囚人の精子による出産には十分な根拠がなく、うわさ話に過ぎない。誰の精子なのかは確認できないのが現実だ」とも付け加えた。
 一方、イスラエル当局に拘束されたパレスチナ人を支援し、囚人の情報を収集する人権団体「パレスチナ囚人クラブ」(本部・ヨルダン川西岸ラマラ)のカドゥーラ・ファリス代表は「精液の持ち出しは秘密裏かつ組織的に行われており、誰の精子かを疑う余地はありません」と強調する。

「刑務所から精液を持ち出し出産するのはパレスチナの誇りだ」と話すカドゥーラ・ファリス氏=3月23日、ヨルダン川西岸ラマラ(共同)

 持ち出された精子から生まれた子どもが初めて確認されたのは2012年。ガザだけでなく、イスラエル軍占領下のヨルダン川西岸でもこの動きは広がり、ファリス氏によると、今年3月時点で少なくとも104人の子どもが生まれている。
 イスラム教の宗教指導者が囚人の精子による体外受精を認めるファトワ(宗教見解)も出している。ファリス氏は「獄中から精子を持ち出し出産するというのはとても創造的で、占領に対する抵抗運動の一環でもあり、パレスチナ社会に希望を与えているんです」と力説した。

マイナス約200度で凍結保存される精子=4月10日、ヨルダン川西岸ナブルスのラザンセンター(共同)

 パレスチナの医療機関も積極的に囚人家族を支援する。西岸北部ナブルスの不妊治療クリニック「ラザンセンター」は、夫がイスラエル当局に長期拘束され、妻が高齢のパレスチナ人夫婦に対し、無料で体外受精を実施している。妻側と夫側の家族双方から「精液が囚人のものである」という署名付きの文書を受け取り、確認を取る。ゴスン・バドラン医師は「体外受精も占領への抵抗運動の支えになると考えています」と強調する。

「体外受精も占領への抵抗運動の支えになる」と話すゴスン・バドラン医師=4月10日、ヨルダン川西岸ナブルス(共同)

 ▽拘束前に凍結保存も
 刑務所からの精液持ち出しではなく、拘束前に夫が医療機関で精子を凍結保存した珍しいケースもある。昨年11月に男児2人、女児1人の三つ子を出産した西岸南部ヘブロン在住、ルブナ・タハさん(34)の場合だ。
 ルブナさんによると、夫バラカさんは2002年にイスラエル軍の急襲作戦で拘束され、ハマスメンバーであることなどを理由に禁錮32年を宣告された。ハマスに拘束されていたイスラエル軍兵士との捕虜交換で2011年に釈放、その後2人は家族の紹介で結婚する。

パレスチナ人に銃口を向けるイスラエル軍兵士=2020年10月、ヨルダン川西岸ヘブロン(共同)

 だがイスラエル軍は2016年、再びバラカさんを拘束した。捕虜交換の実態をなきものにする蛮行だとパレスチナでは反発が広がったが、「それが占領の現実」(ルブナさん)。釈放されるのは2038年という。
 「夫は再拘束される前、嫌な予感がしたのでしょう、『また拘束されるかもしれないから、精子を凍結する』と言いました。私は驚きましたが、反対する理由はありませんでした」
 バラカさんの拘束後、ルブナさんは体外受精を試み、昨年2月の2回目で成功、三つ子を授かった。現在は長女ラキヤさん(9)に加え、サラハディン君、ヌールディン君、ホールちゃんの3人の育児に追われ、めまぐるしい日々を送る。

ソファに横になる三つ子。左からホールちゃん、サラハディン君、ヌールディン君=4月3日、ヨルダン川西岸ヘブロン(共同)

 今年2月、ルブナさんはバラカさんが収監されているイスラエル南部の刑務所を訪れ、面会室で三つ子を初めて対面させた。「おめでとう」と言ってガラス越しに3人を見つめながら泣き始めたバラカさんの様子を見て、ルブナさんも目頭が熱くなったという。
 「夫がいない生活は大変ですし、この子たちにも父親は必要です。一刻も早く夫を返してほしい。それだけが願いです」。自宅の居間で、ソファに眠る三つ子の頭を順番になでながら、ルブナさんは力を込めた。
 「この子たちには尊厳のある暮らしを送ってもらいたいんです。イスラエルの占領が終わり、自由を享受して人生を楽しんでほしい。私たちのそんな希望を託せるこの子たちはまさに『自由の大使』なんです」

ヨルダン川西岸ヘブロンで、イスラエル軍兵士に投石するパレスチナ人男性。この町では衝突が日常茶飯事だ=2020年10月(共同)

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