吉田麻也こそ、新時代の理想のキャプテン? 冨安・菅原ら若手に“答えを与えない”方法論

10月シリーズの欧州遠征ではアフリカの強豪を相手に1勝1分、新型コロナウイルスの影響で活動停止を余儀なくされていたサッカー日本代表の再開初戦は上々の結果となった。180分無失点、自身も2試合フル出場を果たし随所に素晴らしいプレーを見せた吉田麻也は、その結果以上の存在感を示した。偉大なキャプテン・長谷部の後を継いだ男は、自分らしい“新キャプテン像”を築きつつある。心の内奥で煮えたぎる熱情は、必ずや日本代表をさらなる高みへ連れて行ってくれるに違いない――。

(文=藤江直人、写真=Getty Images)

「僕らがやるべきは、経験を伝えることではなく」キャプテン吉田麻也の信念

メンバー発表から合宿初日までの4日間で、共に34歳のFW岡崎慎司(ウエスカ)が故障で、DF長友佑都(マルセイユ)が体調不良で、相次いで日本代表を辞退した。

3大会連続でFIFAワールドカップの舞台に立っているベテランコンビが不在となったなかで、8月に32歳になったばかりのDF吉田麻也が、図らずもフィールドプレーヤーでは最年長になった。

2年前に船出した森保ジャパンのキャプテンに指名された吉田にとって、自分よりも年上のフィールドプレーヤーがいない代表活動は実は初めてだった。オランダ・ユトレヒト近郊で合宿がスタートした5日。オンライン取材に対応した吉田は、岡崎と長友の名前を挙げながらこんな言葉を残している。

「代表経験の少ない選手も多く入っていますし、そのなかで僕たち経験のある選手たちがやらなければいけないのは、経験を伝えることよりも、経験を感じ取れる雰囲気をチームのなかにつくり出すことだと思っています。その意味で今回は岡崎選手、長友選手が来られなくなってしまったので、僕に求められるものはより大きくなっていると感じています。必要ならばいろいろなことをディスカッションできるような雰囲気をつくって、さまざまな情報を多くの選手と交換できたら、と」

発する言葉を含めて自らの立ち居振る舞いに説得力を持たせられる、という自信を胸中に秘めてオランダ入りした。苦笑しながら「年も年になってきたので、パフォーマンスが落ちたらものすごくたたかれるので」と漏らした言葉には、32歳になっても成長している、という手応えが反映されていた。

「凝り固まったサッカー観を壊す」イタリアで成長を重ねる日々

心技体のすべてが充実している、と感じる理由は新天地サンプドリアの日々にある。実に7年半も所属したプレミアリーグのサウサンプトンから今冬に期限付き移籍。6月末でサウサンプトンとの契約が満了を迎えた後は、オプションを行使する形でサンプドリアへ完全移籍した。

プロとしての第一歩を踏み出した名古屋グランパスを皮切りに、VVVフェンロー(オランダ)、サウサンプトンを経て4つ目の所属クラブで、体感するすべてが新鮮で刺激的に映っていると笑う。

「イングランドのフットボールとイタリアのカルチョは、まったく違うものだとこの半年間、実際に身を置きながら体感しています。うまくいくこともあればいかないこともありますけど、そのなかでも長く同じチームにいたからこそ、凝り固まっていたサッカーに対する自分の考え方といったものを一度壊して、再構築していくなかでより強固なものをつくっていきたいと考えています」

具体的には何が違っているのか。サッカー文化がまったく異なるセリエAへ急ピッチで適応していくなかで、プレーの幅が広がっていると実感している跡が吉田の言葉から伝わってくる。

「運動量やインテンシティーはイギリスの方が圧倒的にあるかな、と。ただ、ゴール前におけるフォワードのクオリティー、特に(ズラタン・)イブラヒモビッチやクリスティアーノ・ロナウド、同じチームの37歳の(ファビオ・)クアリャレッラといったベテランの選手たちは、試合中はほとんど動かないのにワンチャンスをものにできる集中力と決定力を持っている。それで結果を残せば認められるのがイタリアのサッカーであり、僕はディフェンダーとしてサウサンプトンのときほど前へ前へとインターセプトを狙うよりも、ボックス内に入ってきた相手をしっかりとブロックするプレーを求められています」

コンビを組む冨安健洋は「僕が監督でも好んで使う」

同じカルチョの国でプレーする21歳のセンターバック、冨安健洋(ボローニャ)と9日のカメルーン代表戦、13日のコートジボワール代表戦でコンビを組んだ。同じピッチでプレーするのは1年ぶりだったが、冨安は招集直前に名門ACミランが興味を示している、と報じられていた。

「世界的にも有名なビッグクラブから興味を持たれたことをとてもうれしく思っていますし、その分、モチベーションにもつながりますよね」

最終的に移籍は実現せず、移籍市場はクローズされたが、ミランが見せた動きを冨安もポジティブに受け止めていた。アビスパ福岡からベルギーのシント=トロイデンを経て、ボローニャに移籍して2シーズン目を迎えている冨安の日々成長する姿に、吉田も頼もしさを感じていた。

「非常にポテンシャルが高く、身体的な能力にも恵まれていて、考え方もしっかりしている。仮に僕が監督でも好んで使うようなタイプですよね。もちろん次のステップに進んでいくと思いますし、いまの段階で非常に可能性を感じています。ただ、他の若い選手と同じくこれからだと思うので、メディアの皆さんにはあまり過度な期待を背負わせてもらいたくないかな、と」

「ハセさんみたいに振る舞う必要はない」自らが信じるリーダー像を追う

最後は苦笑いで冨安に関するコメントを締めた吉田だったが、新型コロナウイルスの影響を考慮し、欧州組だけが招集された今回のオランダ遠征で強く感じたことがある。移籍して間もない後輩たちの姿を介して「自分が20代前半だったころを思い起こします」と、こんな言葉を紡いだ。

「彼らがどのようなことを経験しているのかがすごく理解できるし、僕自身も3カ国目でいろいろなものを吸収しているなかで、そういう時期こそ伸びると自分でも思うので。なので、今回の代表では僕が何かを伝えるというよりは、プレーと結果で示していくのが一番いいと個人的には思っています」

答えを与えるのではなく、個々が答えを導けるようなアドバイスを送る。それも言葉ではなく、背中を介して。組織のリーダーとして理想的な姿に、吉田は代表に招集されるたびに魅せられてきた。だからこそ、ロシアワールドカップを戦い終えた直後に、前キャプテンの長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト)が代表引退を表明したと聞いたときに、人目をはばかることなく号泣した。

「無理をしてハセさん(長谷部)みたいに振る舞う必要はない。僕にできるリードの仕方があると思うし、自分が信じる道、正しいと思うリーダーシップを発揮したい。ポジション的にも立場的にも引っ張っていかなければいけない、ということも重々理解している。なので、いつも通りやるだけです」

長谷部からキャプテンを正式に引き継ぐ前から、キャリア的にも年齢的にも代表をけん引する立場になる覚悟を決めていた。キャプテンシーに込める自分なりの思いを、吉田はこう表現したことがある。

「日の丸を背負う覚悟と責任、そして誇りを持って戦わなければいけないことをいま一度、若い選手たちにプレーをもって示さなければならないと思っています。もちろんハセさんたちだけではなく、先輩方がいままで築き上げてきたものを継承して、よりよい次の日本の歴史をつくっていくためにも、ワールドカップで少しいい成績を出せたからといってそこで終わりではなく、立ち止まることなく進み続けなければいけない。自分のサッカー人生も日本のサッカーも、まだまだ続いていくので」

プレーできない苦しい時期があったからこそ……

自身のサッカー人生を振り返れば、ロシアワールドカップ後はサウサンプトンで試練に直面し続けた。特に昨シーズンは先発とリザーブを行き来する状況が続き、開幕して間もない9月下旬に、意を決するかのようにオーストリア人のラルフ・ハーゼンヒュットル監督の部屋を訪ねている。

「世代交代に抗うつもりはなかったんですけど、そういう環境下に置かれていたのは確かだったので。監督が若い選手たちを好んでいるのは事実ですし、自分自身としては体力的にもベテランという感じになっているとは思っていない。むしろセンターバックとしてはいまが一番いい時期だと思っているし、試合に出られればある程度の結果を残せる自負があったので」

監督室のドアをノックした理由を明かしたのは、モンゴル代表とのカタールワールドカップ・アジア2次予選を戦うために帰国した昨年10月だった。しかし、その後もプレー機会を得られない状況は変わらず、迎えた冬の移籍期間で新天地を求める決断を下し、いま現在の充実ぶりへとつなげた。

しかし、サンプドリアへの挑戦で得たものを、代表に還元する機会が訪れない。それどころか、新型コロナウイルスによってセリエAも長期中断を余儀なくされた。3月、6月、9月の国際Aマッチデー期間中の活動が中止となった間に、代表に対して自問自答を繰り返したと吉田は打ち明ける。

「当たり前のように代表へ選ばれてきたなかで、あらためて自分のなかにある日本代表の存在、日本代表に入る意味を考えさせられる時間がたくさんありました。いまではまた代表で結果を出したい、日本サッカーの新しい歴史を築きたいという強いモチベーションを抱くようになった。その意味では、この中断期間があったからこそ、あらためてハングリーになれたと思っています」

名古屋の後輩・菅原由勢との知られざる絆

オランダの地ではモチベーションをさらにかき立てられる、うれしい再会も待っていた。名古屋グランパスの後輩で、現在はオランダのAZでプレーする東京五輪世代の20歳、DF菅原由勢が初招集され、カメルーン戦の86分から途中出場。同じピッチで時間を共有した。

2人は知られざる絆で結ばれていた。ロシアワールドカップを前に名古屋グランパスU-18のメンバーが、アカデミーの先輩でもある吉田へ、寄せ書きをしたためた国旗を贈った。ほとんどの選手が「頑張ってください」とつづったなかで、すでにトップチームでデビューしていた菅原は違った。

「待っていてください」

年代別の代表を駆け抜けて、可能な限り早くフル代表入りしてみせる、という菅原の決意表明が具現化されたと名古屋グランパスの公式Twitterがつぶやくと、瞬く間に大きな反響を呼んだ。本人たちも覚えていて、合宿初日に吉田と菅原の間で交わされた会話を再現すると次のようになる。

「すぐ来ちゃったよ」
「2年間、待たせてすみません」

ほほ笑ましい関係が伝わってくるなかで、実際にデビューを果たし、試合後には「おめでとう」と声をかけられたという菅原は今後を見据えながら、吉田が放つ存在感をこう語っている。

「吉田選手は自分のなかで大きなモチベーションというか、尊敬すべき存在ですけど、自分としては追いつき、追い越せだとも思っていましたし、だからこそ早く一緒のピッチに立ちたいという思いがありました。吉田選手が与えているもの以上のものを、自分が日本代表に与えられるようになったときにこそ、自分が吉田選手と比べてどうだったかということがわかると思うので、いまはまず2年前の自分に対して『ようやくここまで来られた』と伝えたいと思っています」

コロナ禍で制限が課されるなか、キャプテンとして何ができるか

吉田もまた南アフリカワールドカップで鉄壁コンビを形成した中澤佑二さん、田中マルクス闘莉王さんと入れ違いになる形で代表にコンスタントに招集され、先輩たちに追いつき、追い越せを心中で叫び、試行錯誤を繰り返しながら国際Aマッチ出場試合数を「102」にまで伸ばしてきた。

「帰国したときにタイミングが合えば名古屋の練習に参加していましたし、そこで会った選手、今回でいえば由勢と代表で再会できたのはうれしい。ユースの後輩とあって本来ならば抱き締めてお祝いしたいですけど、僕自身が代表で見てきたことを思えば、代表に来るだけでは意味がないし、呼ばれ続けて、結果を出して、ヨーロッパでステップアップしていかなければいけない。個人的にはそこが一番大変だとわかっているからこそ、いまは厳しく接していかなければいけないと感じています」

厳しく接する、イコール、答えを与えないやり取りとなる。ただ、新型コロナウイルスの影響でコミュニケーションを図る場所と時間を思うように取れない。原則として部屋の行き来はできず、コーヒーなどを飲みながら会話に花を咲かせるリラクゼーションルームも今回は設置が見送られた。

いつもは円卓に座って、和気あいあいとした雰囲気であれこれと話す食事風景も一変。全員が前を向いて、十分に間隔を空けてテーブルに座る形に改められた。ただ、通気性が考慮された広大な食堂に残り、食後にマスクを再着用した上で、短い時間でも会話を重ねたと吉田は振り返る。

「もちろんソーシャルディスタンスを保ちながらですけど、大きな食事会場のなかでみんな楽しそうに話していますね。僕自身も久しぶりに会った選手、初めて会った選手といろいろな話をしたいし、いろいろなことに気が付きたい。なので、さまざまなトークのテーマを常に考えています」

「理想は高く持って」新時代のキャプテンが日本代表をさらなる高みへ

今回の代表活動はさまざまな意義を伴っていた。来年3月以降へ延期されたワールドカップ・アジア予選へ向けて、森保ジャパンが積み重ねてきたものと今後への継続性を再確認するだけではない。日本のスポーツ界を代表する形で、大きな使命を背負っていたと吉田は明かしている。

「団体競技の日本代表チームでサッカーが初めて活動を再開させることを、いろいろな意味で注目される。僕たちがいい形で成功を収めて、スポーツが少しずつ本来の姿を取り戻せていけたらと思うし、その意味で僕たちの責任は非常に大きい。ピッチの内外でやるべきことに集中していきたい」

スコアレスドローだったカメルーン戦は、思うようにはまらなかった前半のプレスを、吉田、冨安、酒井宏樹(マルセイユ)で組んだ3バックに変えた後半で修正した。守備の課題を整理して臨んだコートジボワール戦では、0対0のまま迎えた後半アディショナルタイムに、DF植田直通(セルクル・ブルージュ)が代表初ゴールを決めて劇的な勝利をもぎ取った。

「1年ほど一緒にやっていなくて、所属チームのやり方が染みついていて、パッと来て短い時間で合わせるのは非常に難しい作業ですけど、能力の高い選手だからこそ代表に来ているはずだし、理想は高く持って、活動期間中に擦り合わせていかないといけない。タフな相手と緊張感のある試合をするなかで最初に課題が出て、次に修正してトライして、また次に生かしていくのはポジティブな要素だと思う」

1勝1分という結果だけではない。制限が課された状況で可能な限りコミュニケーションを取り、コートジボワール戦終了時でスタッフを含めたチーム全体から感染者を出さず、自身も2試合にフル出場し、4バックと3バックが併用されたなかで無失点に封じた。大きな収穫を手土産にイタリアへ戻った吉田は、休む間もなく再びカルチョの戦いに身を投じる。

<了>

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