「知的障害があっても良い親になれる」と政府が明言するイギリス 公的医療サービスが支援する先進地で見た日本との違い

知的障害のある親を支援するサービスの受け手である母親と子どもたち=4月、英コーンウォール地方(Cornwall Partnership NHS Foundation Trust提供)

 知的障害のある人が「子どもを持ちたい」と言っても、日本ではまだまだ難しいのが現実だ。障害福祉の制度上も、ほとんど想定されていない。ところが、英国では知的障害者の子育て支援に関するガイダンスを10年以上も前に政府が作ったという。日本と何が違うのか。ロンドンから電車に揺られること4時間余り。英国でも「先進的」とされる機関に話を聞いた。(共同通信=市川亨)

 ▽「あなたには無理」を変えるところから
 牛や羊が草を食むのどかな風景と歴史的な街並みが広がる。英国南西端に位置するコーンウォール地方。海に囲まれ、景勝地も多いことから観光客に人気のエリアだ。
 この地方で唯一の市トルーロに、知的障害や発達障害がある親を支援する専門的なサービスの事務所がある。英国の「国家医療制度」(NHS)の下、医療・保健サービスを提供する独立行政法人のような組織だ。
 事務所を訪ねると、支援チームのメンバーと共に担当の臨床心理士、ビクトリア・パーネルさんが出迎えてくれた。
 「知的障害のある人は『あなたには無理』と周囲から常におとしめられてきたので、サービスを受けたがらないことが多い。まずはそこを変えるところから、です」。パーネルさんはそう説明を始めた。

知的障害がある親を支援するチームのメンバーらと話し合うビクトリア・パーネルさん(右から2人目)=6月、英コーンウォール

 ▽知的障害専門の看護師がいる
 コーンウォールはかつて鉱業が盛んだったが、鉱山の閉鎖で地域が衰退。親が育てられず、養親や里親に引き取られる子どもが増えたという。困難な状況にある親への支援が30年ほど前から始まり、それが現在の知的障害者への子育てサポートにつながった。
 チームはパーネルさんら6人。うち1人は知的障害専門の看護師だ。英国で看護師になるには、(1)成人看護(2)小児看護(3)知的障害看護(4)精神看護―の4分野から専門を一つ選ぶことになっているため、知的障害を専門にする看護師が存在するのだ。
 日本でも専門分野ごとに「認定看護師」や「専門看護師」という仕組みを日本看護協会が設けているが、「知的障害」という設定はない。
 チームが支援する対象は主に軽度からボーダーラインの層だ。知能指数(IQ)では55~80が目安。公営住宅やアパートなどで自立生活する人がほとんどで、50~70人ほどを支えている。

写真カードの使い方について話す支援チームの看護師=6月、英コーンウォール

 ▽「とにかく早期の対応」
 支援が必要そうなケースについて関係機関から連絡が入ったら、医師や福祉職ら関わっている人たちと協議。自宅を2~3回訪問し、家族関係やどんな手助けが必要かを調べる。
 「本人が『子どもが欲しい』と思った段階や、妊娠が分かった早い時点から支援に入るのが理想的です」とパーネルさん。何か問題が起きてからでは結局、子どもを親から引き離さざるを得ず、親も子どもも心に傷を負ってしまうからだ。「とにかく早期の対応が重要」。パーネルさんは、何度も強調した。
 支援の工夫として、親が子どもとうまく接している場面をビデオに撮って褒めたり、子どもが何を訴えているか写真を使って説明したりしている。自宅を訪問して個別の生活環境に応じて助言する。
 チームは6人だけなので、日常生活の支援は福祉職が担う。多職種の連携や慈善団体との協力は欠かせない。「知的障害があっても、正しい方法で教えればできるようになる。医師や助産師、福祉などの専門職にもそれを伝える必要がある」とパーネルさん。そのため、関係機関への研修にも力を入れている。

支援チームが子育てについて知的障害のある親と対話する際に使う写真カード=6月、英コーンウォル

 ▽「権利擁護者」という仕組みがある
 支援者が持つべき重要な視点としては、次の五つを挙げる。
 (1)易しい方法でコミュニケーションを取る(2)親と一緒に取り組む(3)できないことではなく、できること、必要なことに着目する(4)必要であれば長期間支援する(5)求めに応じて権利擁護者を用意する。
 権利擁護者は「アドボケイト」と呼ばれ、日本ではあまりなじみがないが、行政機関などから独立した立場で知的障害者や精神障害者の権利・利益を代弁する人のことだ。
 知的障害などがあると、相手の話をうまく理解できなかったり、自分の希望を言えなかったりすることがある。そのため、障害者団体などが必要な場面に応じて職員らを権利擁護者として派遣する仕組みがあり、費用は公費でカバーされる。
 支援を受ける親からは「子どもとの接し方やお金のやりくりを教えてもらい、人として成長できた」「他の親仲間と知り合い、自分は1人じゃないんだと思えた」といった声が出ているという。
 パーネルさんはこう話す。「知的障害者は貧困や虐待の経験などから、困難な状況に追い込まれやすく、それらも育児を難しくしている。そういった要因も考慮に入れる必要がある。障害ばかりに目を向けるのはアンフェアだ」

障害者支援団体が開いた会合で相談し合うジョアンヌさん(左)とアンナさん(仮名)=6月、英ロンドン市内

 ▽「育児の支援を受ける権利がある」と明記
 英国では、当事者からの要望を受け政府が知的・発達障害の親たちと2006年に意見交換。翌07年には支援に関するガイダンス(手引)を作った。「『知的障害のある人たちも良い親になることができ、子育てを通じて社会に貢献できる』という明確なメッセージを発信したい」とうたい、「育児のサポートを受ける権利がある」と明記した。
 慈善団体なども知的障害者や支援者向けに性行為や避妊方法、育児などに関する資料を多数作成。障害者団体のまとめによると、その数は約80種類に上る。当事者向けの冊子などは、イラストや平易な言葉を使って分かりやすく作られている。
 支援に当たる専門職や研究者らのネットワークもあり、そうした点では日本よりもかなり進んでいる。

ブリストル大のベス・タールトン上級研究員(本人提供)

 ▽「政府の施策は実態を伴っていない」
 だが、現場からは不満の声も上がる。
 「福祉職から差別的な扱いを受けた」「ちゃんとサポートを受けられない」
 6月中旬、ロンドン市内にある障害者支援団体の会議室。知的障害や発達障害のある親たちが週に1回集まって相談し合う会合で、こうした訴えが相次いだ。
 アンナさん(30)=仮名=は1歳から8歳まで3人の娘がいるが、同じく障害のある元夫が精神的に不安定だったため、裁判所が「養育不能」と判断。3人とも養子縁組で他の親に引き取られた。
 「福祉職は私たちに寄り添って支援するのではなく、『障害があるから子育てはできない』と短期間で判断してしまう」
 筋ジストロフィーの娘(21)を持つジョアンヌさん(44)は、自身も軽い知的障害があるが、診断を受けたのは8年前。それまで自分への支援は何もなかった。「福祉の仕事が厳しいため辞める人が多く、担当者が頻繁に入れ替わって話にならない」とため息をつく。
 この団体の担当者は「政府は『ファッション』のように良いことを言っているだけで、施策は実態を伴っていない」と批判し、こう嘆いた。「現場では親より子どもの安全が重視され、人手不足や予算の制約から親は十分な支援を受けられていない。成人向けと子ども向け福祉サービスの間で連携も取れていない」
 親に知的障害がある場合、子どもの半数前後が里親や施設などに引き取られているという調査結果もあり、多くの親は子どもと引き離される不安を持っているという。
 知的障害者の育児支援に詳しいブリストル大のベス・タールトン上級研究員はこう指摘する。「政府の手引は現場に知れ渡っておらず、自治体によって支援には差がある。子どもを社会的養護の仕組みに入れるよりも、親を含めて支援した方が長期的には子どもの利益や予算の節約につながると思う」

 ▽取材後記
 日本で「人権」と発言したら、左派の人間が肩に力を入れて声高に叫ぶイメージだろう。だが、欧米では政府の文書にも「人権」という言葉がよく登場するし、一般の人でもサラッと口にする。10年前にロンドン支局に駐在していたときも感じていたことだが、人権に対する意識の違いを改めて実感した。
 一方で、日本人からすると英国のサービスは官民ともに、良くも悪くもいいかげんに映る。政府のお題目とは異なり、福祉の現場は人手不足や自治体間格差といった日本と同じ問題も抱えている。
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