元阪神・横田慎太郎さん死去 28歳、鹿児島実業高卒 脳腫瘍で2度の手術、闘病乗り越え復帰 「奇跡のバックホーム」

2021年10月、母校のグラウンドで阪神時代のユニホームを持つ横田慎太郎さん

 元プロ野球阪神の外野手としてプレーした横田慎太郎さん=鹿児島実業高校出身=が18日午前5時42分、死去した。28歳。現役引退の原因になった脳腫瘍が昨年に再々発していた。喪主は父真之(まさし)さん。葬儀、告別式の詳細は未定。

 東京都で生まれ、3歳で鹿児島に引っ越した。日置市の湯田小学校3年でソフトボールを始め、東市来中学校から鹿児島実業高校へ。1年秋から4番に座り、高校通算29本塁打のスラッガーとして名をはせた。

 鹿実高からドラフト2位で2014年に阪神に入団。16年には開幕戦に「2番・中堅手」で先発して、1軍デビューを果たすなど38試合に出場した。

 17年の春季キャンプ中に体調不良で離脱。21歳のときに脳腫瘍と診断された。2度の手術や半年以上の闘病生活を乗り越えて復帰。再び1軍入りを目指してリハビリに励んだが、球が二重に見えるなど視力の異常があり、19年に引退した。

 2軍で行われた引退試合では途中出場で中堅を守り、本塁突入を試みた走者をノーバウンド送球でアウトにした。矢野燿大監督や1軍選手、満員の観客の前で強烈な印象を残した。

 引退後は日置市で1人暮らしをしながら、鹿児島県内での講演やコラム執筆などに力を尽くした。21年には「奇跡のバックホーム」を出版。病に打ち勝った日々の記録や目標を持つ大切さを力強い言葉でつづった。南日本新聞で22年から1年間、「横田慎太郎のくじけない」を連載した。

鹿児島実業高校3年の時、全国高校野球鹿児島県大会準々決勝で本塁打を放つ横田慎太郎さん=2013年7月、県立鴨池球場
2022年11月、諦めず努力することの大切さを講演で訴える横田慎太郎さん=姶良市の山田中学校

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