「野球ばか、若すぎる」…元阪神・横田慎太郎さん死去、28歳 脳腫瘍が再々発 惜しむ声広がる

母校の東市来中学校で笑顔を見せる横田慎太郎さん=2021年10月、日置市

 元プロ野球阪神の外野手としてプレーした横田慎太郎さん=鹿児島実業高校卒=が18日午前5時42分、死去した。28歳。現役引退の原因になった脳腫瘍が昨年に再々発していた。喪主は父真之(まさし)さん。

 「若すぎる」「残念でならない」。28歳で他界した、元プロ野球阪神の横田慎太郎さんの訃報が伝わった18日、友人や関係者から惜しむ声が上がった。

 鹿児島猛虎会会長の鳥井ケ原昭人さん(73)=鹿児島市=は同日昼、横田さんの父・真之さんから連絡を受けた。「5月に『余命1カ月と言われた』と聞いていたが、頭が真っ白になった。2度目の奇跡を起こそう、と話していたのに残念だ」と悔しがる。

 入団前の壮行会には約800人が集まった。「誰からも好かれる若者だった」。親交があった金本知憲監督(当時)に「慎太郎を飯でも連れて行こうか」と尋ねた。金本監督は「もう少し待って。一流にするから」と答えたという。

 横田さんは昨年12月、所属していた日置市の湯田ソフトボールスポーツ少年団が主催する大会に駆け付け、子どもたちの前であいさつした。「夢を諦めるな」の言葉が印象に残っているという下池真監督(43)=同市=は「プロ入り後も練習に顔を出し、子どもたちに声をかけてくれる気さくな人だった」と話した。

 高校時代、同じ鹿児島実業のユニホームを着た福永泰志さん(28)=愛知県=は「小学生の頃から年賀状をやり取りする仲。高校では朝5時半に起きて一緒に素振りをした」と振り返る。

 3年の夏、県大会決勝で樟南高校にサヨナラ負けした後、福永さんがマウンドに座り込む写真を実家に飾っている。そこには、横田さんが書き込んだ「最高のライバル」の文字がある。

 「野球ばかという言葉が似合うやつ。よく頑張った。もう一度みんなで野球がしたかった」

【プロフィル】よこた・しんたろうさん 1995年、東京都生まれ。3歳で鹿児島に引っ越し、日置市の湯田小学校3年でソフトボールを始める。東市来中学校、鹿児島実業高校を経て、2013年にドラフト2位で阪神タイガースに入団。3年目は開幕から1軍に昇格した。17年に脳腫瘍(しゅよう)と診断され、2度の手術を受けた。19年に現役引退。20年に脊髄腫瘍が見つかり、21年に治療を終えた。引退後は鹿児島を拠点に講演、病院訪問、動画サイトの配信など幅広く活動。父・真之さんも元プロ野球選手。2023年7月18日死去、28歳。

鹿児島商業高校で講演し、生徒の質問に答える横田慎太郎さん=2021年12月、鹿児島市西坂元町
鹿児島実業高校3年の時、全国高校野球鹿児島県大会準々決勝で本塁打を放つ横田慎太郎さん=2013年7月、県立鴨池球場

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