企業が直面する地政学とDXリーダーが最低限知っておくべき勘所--DXリーダーの教養

米中対立や台湾情勢、ウクライナ情勢などに代表されるように、世界情勢は多くの難題を抱え、企業は常にその影響を強く受けている。バイデン政権は昨年10月、軍事転用可能な先端半導体の技術や製造装置が中国に流出することを防止するため対中半導体規制を発表し、今年に入っては日本にも同調を呼び掛け、日本は7月から先端半導体に必要な製造装置など23品目で対中輸出規制を開始する。それによって、日中経済にも不穏な空気が漂っている。そういった背景から、日本企業の間でも中国依存脱却を目指した動きが見られる。キヤノンの御手洗冨士夫会長兼社長は昨年10月、地政学リスクを懸念し、工場の展開など生産拠点で日本回帰や第3国への移転の可能性を示唆した。大手自動車メーカーのホンダは昨年8月、国際的な部品のサプライチェーンを再編し、中国とその他地域の切り離しを進める方針を示し、マツダも昨年8月、部品の対中依存度を下げると発表した。今日、日本企業そして、データの時代の読者であるDXリーダーたちにとって、地政学リスクは目前の重要な問題と捉えるべき点を、地政学リスクや危機管理の実務および研究を大学や研究機関で進めている和田大樹氏が解説する。

世界情勢が激動する中、今日日本企業の中では特に中国と台湾への懸念が強まっている。まず、中国だが、日本の国会にあたる中国の全国人民代表大会の常務委員会は4月下旬、2014年に施行された反スパイ法の改正案を可決し、7月から施行されることになった。この改正法で懸念されるのが、これまでのスパイ行為の定義が大幅に拡大され、“国家機密の提供”だけでなく、“国家の安全と利益に関わる資料やデータ、文書や物品の提供や窃取”もスパイ行為に含まれるようになった。ここで問題となるのが、国家の安全と利益の意味だが非常にあいまいで、それについて具体的なことは書かれておらず、結局は中国当局の判断によって改正法が運用されることになり、恣意的な運用によって日本人のさらなる拘束に繋がる可能性がある。また、引き続き““その他のスパイ行為”という文言が残っており、この曖昧さも懸念される。

2014年の反スパイ法施行以降、これまでに17人の日本人が拘束されている。最近では今年3月、大手製薬会社のアステラス製薬に勤務する男性が北京で拘束され、日本国内でも大きく報道された。この男性は中国で20年も勤務経験があり、拘束されたその日に帰国予定だったという。中国で得た情報を日本へ持ち帰ろうとして拘束されたとの見方もあがっているが、具体的にどのような行為が反スパイ法に違反したのかなど具体的なことは一切説明されていない。昨年秋にも反スパイ法に違反して6年の実刑判決を受け刑期を終えた男性が帰国し、2019年には中国近代史を専門とする北海道大学教授が帰国直前に北京の空港で拘束される事件もあった。度重なる邦人拘束のなか、もっと強力な法が施行されるとのことで、企業関係者の間では、「中国各地に多くの駐在員を派遣しているが、今後拘束されるのはわが社の社員の可能性もある」と懸念の声が拡がっている。企業の間では、中国各地にいる駐在員とその帯同家族に対し、現地では習政権や日中関係など政治的発言は公共の場で控える、SNSでも政治的メッセージはしない、人民解放軍の施設や警察署などには近づかないことなどを徹底させる企業が増えている。

また、中国は一帯一路の一環でデジタルシルクロードを進めているが、たとえば東南アジアではラオスやカンボジア、ミャンマーで中国の影響力が強まっており、ソフトウェアや監視カメラ、ドローンなどテクノロジー分野での浸透が著しい。そういった国々では政府による監視の目が強化されているとみられ、現地で事業を展開する日本企業ととっては、先端技術や個人情報などがいつの間にか流出しているリスクもあり、中国リスクを一種の“普及したリスク”と捉える必要性も生じている。

一方、台湾については有事を巡る情勢だ。中台間の緊張は近年これまでになく高まり、蔡英文政権は欧米との結束を強化し、習政権は台湾独立に向けた動きには武力行使を辞さない構えを崩していない。昨年8月、当時のペロシ前下院議長が台湾を訪問したことがきっかけで、中国は台湾を囲むように台湾北部や東部、南部などで一斉に軍事演習を実施し、中国大陸からは多数のミサイルが台湾周辺海域に打ち込まれた。その一部は日本の排他的経済水域にも落下した。緊張の高まりにより、台湾でビジネスを展開する企業の間で懸念の声が拡がっている。台湾米国商工会議所が昨年11月に実施した調査結果によると、緊張が高まる台湾情勢によってビジネスに著しい支障が出ていると回答した企業が全体の33%に達し、一昨年8月に行われた同調査の17%からほぼ倍増した。また、有事を巡るリスクに対応するため、事業継続計画を修正した、または修正する予定だと回答した企業は全体の47%に達し、同様の懸念は日本企業の間でも拡がっている。最近では4月、中米訪問の帰りにカリフォルニアに立ち寄った台湾の蔡英文総統がマッカーシー米下院議長と会談したが、それに合わせるように、中国海軍の空母山東が台湾南方のバシー海峡を通過し、台湾南東沖を航行し、西太平洋での航行演習を初めて実施した。

また、中国軍は4月10日まで3日間の日程で台湾周辺海域において軍事演習を行い、中国軍機の中台中間線超えや台湾の防空識別圏への進入が相次いだ。今日、日本企業の間で台湾から引き上げる企業は見られないが、有事となった場合の影響を本気で検討し始める企業が増えている。台湾有事となれば、台湾南部から東部を通る日本の経済シーレーンは影響を受けることになる。中国軍は台湾周辺の制空権や制海権を握ってくると予測されるので、東南アジアや中東などから日本へ向かう石油タンカーや民間商船の航行は制限を受けることになる。また、台湾は世界の半導体をリードしており、日本の半導体関連企業への影響も寛大となる。さらに、有事となれば日中関係は高い確率で冷え込むことになり、中国でビジネスを展開する日本企業の活動へも影響が出てくることになろう。日本企業の間でもそういった影響を懸念する声が以前よりよく聞かれる。

こういった懸念が今後どうなっていくかは分からない。しかし、今日の国際情勢に照らせば、状況は刻々と悪化しているように映る。まず、5月に開催されたG7広島サミットからも分かるように、今日対中国で米国や日本、欧州などが多国間連合で結束している。たとえば、G7広島サミットでは戦略物資のサプライチェーン強化が議論された中、米国の大手半導体メーカーであるマイクロンテクノロジーは、東広島市の工場で次世代メモリの開発を進めるため、最大5000億円を投資すると発表した。中国は日本が欧米とタグを組んで向き合ってくることに強い不満を抱いており、この長期化は必然的に日中関係の悪化をもたらす。そして、トランプ政権以降の米中貿易摩擦に代表されるように、今日米中対立は経済や貿易、先端技術など企業活動の領域で激しく展開されており、既に大国間の政治対立が直接企業活動に影響を与える状況になっている、日本企業としては、今日の大国間対立の行方を日々チェックし、それが企業活動にどう影響を及ぼしていくかを注視し、リスク最小化を目指した行動を検討する必要がある。

© ウイングアーク1st株式会社