今夏は日本ツアーで親善試合を行う予定となっているマンチェスター・シティ。
23日には横浜F・マリノスと、26日にはバイエルン・ミュンヘンと国立競技場で試合が行われる。
そこで、今回は『FourFourTwo』から「マンチェスター・シティの歴史上最高の選手TOP10」をご紹介する。
10位:フェルナンジーニョ
マンチェスター・シティ所属:2013~2022
国籍:ブラジル
この直近の10年間でもっとも影響力を持っていた選手。そしてその隠れた働きによって、他の才能ある選手たちが新聞の見出しを飾ることを助け続けた縁の下の力持ちであった。
彼ほどの優れた戦術家を見出すことは難しい。狡猾であり技巧的であり、そして創造的だった。ボールを奪えば見事なスクエアのパスで攻撃の起点になり、時には自ら強烈なシュートも放つことができる。
ローテーションやスタメンの変更を好むジョゼップ・グアルディオラ監督が、フェルナンジーニョだけは全く入れ替えることがなかった。その事実が彼の存在の大きさを表している。
9位:ヤヤ・トゥレ
マンチェスター・シティ所属:2010~2018
国籍:コートジボワール
誕生日のケーキ忘れ事件やジョゼップ・グアルディオラ監督に対する代理人の激しい批判など問題はあったものの、彼がマンチェスター・シティで残した多くの功績を忘れるわけにはいかない。
バルセロナから2400万ポンドで獲得した時は多くの疑問の声もあったが、ロベルト・マンチーニ監督は彼を前線に近い位置に配置し、そのボックス・トゥ・ボックスMFとしての才能を開花させた。
歯切れの良いパスにダイナミックな走り、そして強力で巧みなシュート。常にピッチ内でもピッチ外でも存在感があった。
8位:アラン・オークス
マンチェスター・シティ所属:1959~1976
国籍:イングランド
マンチェスター・シティで愛されたGKといえばバート・トラウトマン。そのスパイクを掃除する係であったのが15歳の新人MFアラン・オークスであった。
17歳でトップチームにデビューするとそれからマンチェスター・シティで公式戦680試合に出場し33ゴールを記録。あのリヴァプールの伝説的な指揮官ビル・シャンクリーも「オークスはまさにお手本にすべきプロフェッショナルの鏡」と評価したという。
飾り気のないプレースタイルであったが、ピッチ内外で高く評価された。2005年にマンチェスター・シティの殿堂入りを果たしている。
7位:ピーター・ドハティ
マンチェスター・シティ所属:1936~1945
国籍:アイルランド
アイルランドの伝説的なアタッカーは、その緻密なボールコントロールと魅惑的な動きによって対戦相手を惑わせた。インサイドのFWとしてプレーした彼は1936年にブラックプールから加入し、それから長くマンチェスター・シティに貢献した。
戦争が勃発してリーグが中断されるまでに、彼は130試合の出場で79ゴールという脅威的な成績を残した。第二次世界大戦中はイギリス空軍に勤務しつつ、戦時のフレンドリーマッチで89試合60ゴールを記録している。
終戦後は指導者を務めた後にリヴァプールのスカウトに転身。ケヴィン・キーガンらを発掘するなどこちらでも辣腕を振るったという。
6位:ケヴィン・デ・ブライネ
マンチェスター・シティ所属:2015~
国籍:ベルギー
チェルシー時代には2年間で3試合しかプレーできなかったデ・ブライネ。プレミアリーグでの最初の経験は苦いものだったが、ブンデスリーガに戻って大ブレイクを果たし、そしてマンチェスター・シティへとやってきた。
かつての姿を覚えていたイングランドのファンからは疑問の声もあったが、彼はすぐにそれを黙らせた。ジョゼップ・グアルディオラ監督の下でやや深い位置で起用されるようになり、驚くべきビジョンとテクニックを遺憾なく発揮した。
パワフルで推進力あるドリブル、そして素晴らしいアイデアとそれを実現するキックの精度とバリエーション。スーパースターが揃う中でも彼の存在は絶対的だ。
5位:ヴァンサン・コンパニ
マンチェスター・シティ所属:2008~2019
国籍:ベルギー
怪我がちであったことを除けば、彼はまさにマンチェスター・シティ最高のディフェンダーであったといえるだろう。
2008年にハンブルガーSVから加入した彼は、当初守備的MFとしてプレーしていたが、センターバックとしてコンバートされた後に強大な影響力を発揮するようになった。リーダーシップがあり、冷静で、そして非常に知的なキャプテンだった。
2011-12シーズンにはシティを40年ぶりのリーグ優勝に導き、年間最優秀選手にも輝いた。そして彼にとって最後のシーズンとなった2018-19ではレスター・シティを相手にとてつもないシュートを叩き込んでいる。
4位:バート・トラウトマン
マンチェスター・シティ所属:1949~1964
国籍:ドイツ
バート・トラウトマンの物語はまるで現実とは思えないものだ。第二次世界大戦中にナチス・ドイツの空挺部隊として戦った彼は、イギリスに捕らえられて捕虜となった。釈放されたあとは帰国することなくイギリスのアマチュアリーグでサッカーをプレーし始めた。
1949年にはマンチェスター・シティと契約するが、もちろんかつての敵国の人物ということでファンからの抗議活動が起こった。しかしトラウトマンはピッチ内でのプレーと態度によってそれを黙らせ、アウェイのファンからのブーイングには耳を貸さなかった。
1956年のFAカップ決勝ではなんと首を骨折しながらプレーして優勝に貢献。試合を終えてから3日後にようやくその怪我が判明するという鉄人ぶりを見せていた。
3位:セルヒオ・アグエロ
マンチェスター・シティ所属:2011~2021
国籍:アルゼンチン
2012年の5月13日、プレミアリーグの最終節でQPRを相手に2-2となっていたマンチェスター・シティ。しかし93分を過ぎたところでセルヒオ・アグエロが冷静にゴールを決めて勝ち越し。これがクラブにとって44年ぶりのリーグ優勝を導く得点になった。
2011年にアトレティコ・マドリーから加入した彼はマンチェスター・シティで390試合に出場し、259ゴールというとてつもない数字を残している。しかもそれは多くのタイトルを導くものだった。
昨年5月にはプレミアリーグ44年ぶりの優勝から10年が経ったことを記念して、エティハド・スタジアムに彼の銅像が建てられている。
2位:コリン・ベル
マンチェスター・シティ所属:1966~1979
国籍:イングランド
10代でベリーのキャプテンを務めたコリン・ベル。1966年にマンチェスター・シティへと加入し、それから13年にわたってクラブの中心的な存在となった。
その武器は競走馬にも例えられるほどの圧倒的な運動量、そして驚くべきほどの知性、予想を裏切るスピードの変化、ストライカー顔負けの強力なシュート、さらに繊細なボールタッチであった。
残念ながら29歳となった1975年に右膝を壊してしまい、それからはプレーすることすらままならなくなってしまった。しかしそれでもイングランドの歴史上最高のミッドフィルダーの1人として評価されている。
1位:ダビド・シルバ
マンチェスター・シティ所属:2010~2020
国籍:スペイン
ときに周りの選手とは時間の流れが違うようなプレーをする男が現れる。ダビド・シルバはそういう人物だった。2010年にマンチェスター・シティへとやってきた時、プレミアリーグで戦うにはあまりに華奢であるとみなされた。
しかしながらこの物静かで謙虚な天才はそれをすべて跳ね除け、遥かに大きな選手たちを翻弄した。空間に対する比類なき認識能力を備えた彼は、混沌とした試合の中でもわずかな静けさを見つける才能を持っていた。
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攻撃のテンポを決め、相手のディフェンスをこじ開ける。そのような魔法を幾度もピッチで見せ、マンチェスター・シティの飛躍を支える存在となった。