佐藤恵允がブレーメン加入!明治大学サッカー部出身で「偉大な実績」を残した5名

明治大学のFW佐藤恵允がブンデスリーガ1部のヴェルダー・ブレーメンへ加入することが決まった。

U-22日本代表の欧州遠征では、3月のドイツ戦とベルギー戦でいずれも得点を挙げた佐藤。現在4年生のため大学に籍を残しつつ、7月末にサッカー部を退部。8月にドイツへ渡るという。

明治大学はこの若きアタッカーのほかにも、数々の名選手や名監督を輩出してきた。その中でも際立って活躍した5名を紹介する。

杉山隆一

1941年7月4日生まれ

日本サッカー史に燦然と輝く天才ウィンガー。

サッカーの街・清水に生まれ、清水東高校から明治大学へ進学。浪人時代に19歳で日本代表デビューを飾った逸話を持ち、大学3年次に出場した東京五輪では日本のベスト8入りに大きく貢献した。

1966年に三菱重工業へ入社すると、2年後のメキシコ五輪では5アシストをあげる大活躍。釜本邦茂との名コンビにより日本を銅メダルに導いた。

引退後はヤマハ発動機の監督やジュビロ磐田のスーパーバイザーなどを務め、2005年に日本サッカー殿堂に選出されている。

木村和司

1958年7月19日生まれ

80年代の日本サッカーをけん引した“10番”。

地元の県立広島工業高校から明治大学へ進学。在学中から日本代表としてプレーし、卒業後には高校の先輩にあたる金田喜稔と同じ日産自動車サッカー部へ加入した。

日産はもちろんのこと、日本代表でも10番を背負い、1985年に行われたメキシコW杯のアジア最終予選では、旧国立での韓国戦で伝説的なフリーキックを決めてみせた。

1993年に開幕したJリーグで2シーズンプレーして現役を引退。指導者としては2010年から2011年にかけて横浜F・マリノスで指揮を執っている。2020年に殿堂入り。

佐々木則夫

1958年5月24日生まれ

帝京高校から進んだ明治大学では木村和司と同期。

卒業後は日本電信電話公社(※NTTグループの前身)に入社し、全国社会人大会や全国地域リーグ決勝大会で優勝を経験。ただ個人としてはJSL2部でのプレーにとどまり、Jリーグ開幕前の1991年に33歳で引退している。

その後はNTT関東で指導者に。佐々木監督時代にチームは「大宮アルディージャ」へと生まれ変わり、Jクラブとしての道を歩み始めた。

2008年から2016年まで率いたなでしこジャパンでは、W杯優勝(2011年)、同準優勝(2015年)、ロンドン五輪銀メダル(2012年)などを達成。2019年に日本サッカー殿堂入りを果たした。

長友佑都

1986年9月12日生まれ

記念すべき明治大学出身初のワールドカップ選手。東福岡高校から進学し、最初に話題になったのは応援の太鼓だった。

大学で右サイドバックにコンバートされ、2007年に練習試合でのプレーが評価されFC東京の特別指定選手に。翌2008年には1年を残してサッカー部を退部しプロ契約を結んだ。

その年に早くも日本代表デビューを果たすと、北京五輪から南アフリカW杯へ。そのまま2022年のカタールまで4大会連続のワールドカップ出場を果たしている。

2010年から欧州でプレーしていたが。2021年にFC東京へ帰還。今季もFC東京の5番を背負いピッチ内外で存在感を放つ。

室屋成

1994年4月5日生まれ

南野拓実の幼馴染として知られるように大阪府の出身。青森山田高校時代に清水エスパルスからのオファーを受けたが、明治大学への進学を選択した。

長友を輩出したように「サイドバックの育成が上手い」ことが理由だったようで、3年次の2015年にはFC東京で特別指定選手として登録されている。

そして長友同様、翌2016年にサッカー部を退部してプロ入り。その年のリオデジャネイロ五輪に出場し、2017年にはA代表デビューを飾った。

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2018年、2022年とワールドカップ出場は逃したものの、日本代表として16試合に出場。所属するドイツ2部のハノーファーでもレギュラーとして活躍している。

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