都会にないものが全てある街

「富山にはな〜んもないっちゃ」

富山人の口癖である。謙虚なのか、はたまた本気でそう思っているのか。いや、どちらかというと富山に住み続けている人が、自信なさ気にいうケースが多い、ように思う。

僕は2020年の春、ちょうど大型客船ダイヤモンドプリンセス号から得体の知れない伝染病が拡散し始めた頃、ひょんなことからご縁ができて、突如富山県氷見市に移り住むこととなった。正直に言うと、ご縁ができるまで氷見市がどこにあるのか、都市の存在すら知らなかった。

それから丸三年。このエリアのポテンシャルには今でも驚いている。

富山人が「何もない」というこの地には、あれやこれや、お宝がザクザクあるのだ。

氷見漁港セリの様子

先ず、魚がハンパなくうまい。世界中で魚を食べ歩いたが、知る限り、氷見の魚は世界最高峰と言っても言い過ぎではないだろう。

富山湾は「天然の生簀(いけす)」と呼ばれるくらい魚種が豊富で、一説には500種を数えるともいわれるが、季節によって揚がる魚がガラリと変わる。

氷見市は水揚げの96%が定置網漁業で、「身網」と呼ばれる、最後に魚群が追い込まれる袋状の網にたどり着いた魚だけが漁師によって引き上げられる。大型定置網だとそのサイズは3,000メートルから4,000メートルのとても大きな仕掛けだ。魚群探知機で根こそぎ獲り尽くす漁法とは違い、定置網にまぎれ込んだ魚の7割は逃げていく。途中で逃げられるほどに網目が大きい。決して獲り尽くすことのない、サステイナブルで実にSDGsな漁法で、「入ってくれ」とただひたすら祈る他力本願な漁業、牧歌的でそれだけで愛しいではないか。

氷見市の位置する能登半島東側のつけ根、縦20キロの海岸線沿いにずら〜っと定置網が並ぶ。漁港から15分ほどで漁船は「身網」にたどり着く。捕獲されてすぐに氷で締められた魚は気絶したままの仮死状態で出荷され、鮮度が保たれたまま「朝どれ」魚として市内、近隣に流通する。

魚屋に並ぶ魚種で季節がわかるほどで、これを僕は「氷見旬魚」と呼びたい。

氷見温泉郷 くつろぎの宿 うみあかり 露天風呂

さらに、全く知られていないのだが、宿泊せずとも日帰りで楽しめる温泉が多数ある。

ナトリウム塩泉が主なのだが、場所ごとにニュアンスが異なる名湯がいくつもある。

なぜ東京はじめ全国で知名度がないかというと、ほとんどPRがなされておらず、地元の人たちが楽しんでいるのだ。

極めつけは、天気がいいと海越しの立山連峰がドカ〜ンと顔を出す。

この絶景は市民の誇りでもあるが、どのレベルの絶景かというと、これまた“世界最高峰”なのだ。これを見られたならば、もうヨーロッパのアルプスにもエベレストのあるヒマラヤ山脈へもわざわざ足を運ぶ必要はなくなるだろう。ただし、この絶景は年間50日ほどしか顔を出さない。観光客は、運が悪いと何度来ても見られない。そうお嘆きの方がしばしばおられる。これがまた、温泉に浸かりながら眺められるのだ。

こんな絶景が見られるという事実、東京のメディアに30年いた自分でも全く知る機会がなかった。とにかくPRがほとんど行き届いていないのだ。

海越しの立山連峰

それだけではない。氷見を中心に、車で東西南北1時間圏内にとんでもない観光地がひしめいている。歴史と雅な文化の集積地・金沢、合掌造りで大人気の五箇山&白川郷の世界遺産、世界有数の雲上山岳観光ルートの立山黒部アルペンルート、北へ車を走らせれば世界農業遺産にも認定された能登の里山里海…。

これまで「北陸」というエリアをまとめてプレゼンテーションしてきたことはあったのだろうか。

優れた食のレベル、購買意欲をそそる商品群、観光地名湯の数々、歴史と文化度、これらポテンシャルがどの程度のものかというと、京都・奈良にも決して引けを取っていない。ましてやフランス、スペイン、イタリアなど食通を唸らせる世界的な観光地、ハワイ、東南アジアンリゾートなどにも全然負けてはいない。ただ知られていないだけなのだ。

富山暮らしは家賃が安く、マンションなど東京の1/4ほどで渋滞もない。満員電車とは無縁で、今は職住も接近。魚の鮮度は抜群で激安。立山連峰からの伏流水のお陰で米も野菜も実に美味しい。人はやさしく、物もくださる。人々は適切な距離感を保ち、コミュニケーションが深く、皆が知り合い。お祭りも多彩でその数も多く、そこにかける情熱はこれまた深い。温泉にはいつでも入れる…なんというぜいたくなのだろう。

「富山にはな〜んもないっちゃ」は東京からみれば、「都会にないものすべてがある」のだ。

京都龍安寺にあるつくばいを思い起こす。

「吾れ唯(ただ)足るを知る」

そうすれば、これほどのウェルビーイングな土地は滅多にない。そんなことを富山の人にいうと、みんなポカンと口を開けて、信じられな~いというような表情をする。それがまた、僕には面白いのだ。

京都 龍安寺 つくばい

寄稿者 篠田伸二(しのだ・しんじ)富山県氷見市 副市長

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