平和の尊さ考えて 茨城・美浦の鹿島海軍航空隊跡 22日から公開

1階部分が公開される鹿島海軍航空隊跡地の旧本部庁舎=美浦村大山

太平洋戦争当時に水上飛行機の訓練などが行われた鹿島海軍航空隊跡地(茨城県美浦村大山)の整備が終わり、一部施設が22日から公開される。廃虚と化していた跡地は貴重な戦争遺構として近年注目が集まり、村や管理団体が公開に向けて準備を進めていた。関係者は「平和や命の尊さを考えてほしい」と呼びかける。

村などによると、同隊は1938(昭和13)年に開隊。予科練を卒業したり、大学在学中に志願してきたりした20歳前後の飛行練習生らが入隊し、霞ケ浦で水上飛行機「赤とんぼ」の操縦訓練を行っていた。一時は在籍千人を超える大規模基地だったが、太平洋戦争後半に日本が劣勢になると、本土を守る防空部隊へ性格を変え、末期には特別攻撃隊(特攻隊)の訓練も編成された。訓練中の事故や特攻などで数十人が戦死したという。

敗戦後は、残った建物を利用して大学病院が開設されていたが、97年に閉院。その後は20年近く放置されていた。

村は2016年までに、建物を含む跡地約7ヘクタールを国から取得。当初はフットサル場などを整備する予定だったが、戦争遺構として残したいという声を受け、跡地のうち4ヘクタールを大山湖畔公園として存続させることを決めた。

園内では、同隊幹部らが使った本部庁舎1階をはじめ、国内では現存数の少ない旧式ボイラーがある汽缶場、自力発電所の計3棟を見学できる。指定管理者の「プロジェクト茨城」(金沢大介代表)によると、当時はボイラーでお湯を沸かして配管に循環させ、庁舎内を暖めていたとみられる。自力発電所は、床下の貯留庫に燃料を保管し、緊急時に電力を供給していたという。

同プロジェクトなどは22年、整備費を募るクラウドファンディングで約1千万円を集め、遊歩道整備や庁舎内の清掃など、公開に向けて準備を進めていた。

公開に当たり、金沢代表は「跡地には戦時中のものがほぼ手つかずの状態で残っており貴重。当時に思いをはせることができる」と語った。

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