「集団自決」8割が子どもと女性 住民の服に「スパイではない」マーク 研究家が日本軍の影響を指摘 沖縄・座間味島の戦争体験学ぶ

 「沖縄戦の記憶継承プロジェクト―戦争をしない/させないために」(同プロジェクト実行委員会主催)の第8回講座のフィールドワークが22日、座間味島で開かれた。沖縄女性史研究家の宮城晴美さんが座間味島で起きた「集団自決」(強制集団死)について、村の指導者が全滅し、島に三つある集落のうち座間味集落の住民だけが命を絶ったことなどの特徴を説明。日本軍の影響力の大きさを指摘した。35人が参加した。

 1944年9月、海上特攻作戦のため慶良間の3島に日本軍が配備され、座間味島では将兵らが座間味集落の民家に分宿。住民は壕堀りなどに駆り出され、厳しい監視下で、服に「スパイではない」というマークを付けることも強いられた。

 住民は将兵らから「男は八つ裂きにされ、女は強姦(ごうかん)されて殺される」と、敵に捕まる前に「玉砕(自決)」を勧められていた。45年3月25日に伝令役の役場職員を通じて「玉砕(自決)」命令がもたらされ、村長や助役ら指導者とその家族は先に命を絶った。米軍上陸を目撃しパニックになった人々も一家の男性らが妻子を手に掛けた。

 祖父母が生き残りで、長年研究に携わる宮城さんの調べによると、死亡者の約8割が子どもと女性。「女性の性が戦略として利用される集団自決の構造も明らかにしないといけない」と話した。

 隣の阿佐集落出身の高江洲敏子さん(91)も体験を語り、「自分の手では絶対に死なないと思っていたけれど、それを口にはできなかった」と死を強いられた当時の空気を振り返った。先に捕まった地元の男性の呼びかけで避難先のヌンルルーガマから出たものの、男性は後に日本軍にスパイとして殺された。自決が起きなかった阿佐、阿真と座間味集落の違いについて宮城さんは「日本軍がいたかどうかの違いだろう」と指摘した。

 (中村万里子)

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