日本は世界で最も重要な国のひとつ|オレグ・マガレツキー×石井英俊 ロシア政府によって「望ましくない団体」に指定された「ロシア後の自由な民族フォーラム」の創設者・オレグ・マガレツキー氏に緊急インタビュー。ウクライナ戦争の行方、世界は、そして日本は今何をすべきなのか。

世界各地で行われている「ロシア後の自由な民族フォーラム」

ロシアの民間軍事会社ワグネルを率いるプリゴジンの反乱は1日にして収束したが、その余波はいまだ収まる気配がない。鉄壁に見えたプーチンの支配体制下にあって、モスクワまでわずか200キロというところまで「進軍」したということも驚きを呼んだ。短期的にはプーチンによる締め付けは強化され、いますぐに体制が揺らぐという事態は起きないのであろうが、中長期的視点に立った時に、ロシア内部から起こる体制崩壊という可能性がわずかでも見えたことの及ぼす影響は決して無視できるものではない。ウクライナ戦争が長期化し終わりが全く見えない中にあって、いま世界が注目しているポイントのひとつであることは間違いない。

さて、この「ロシアの内部崩壊」という問題を考える時に、非常に興味深い運動がいま世界各地で行われている。「ロシア後の自由な民族フォーラム(ポストロシア自由民族フォーラム)」だ。ロシアからの分離独立を訴える多くの「捕われた国々」の代表者などで構成されている。チェチェン・イチケリア共和国亡命政府の代表やイリヤ・ポノマリョフ氏(自由ロシア軍団の政治部門幹部)なども含まれており、かなり幅の広い連合組織である。

昨年5月8日にポーランドのワルシャワで第1回フォーラムを開催したことを皮切りに、これまでのわずか1年の間に、ヨーロッパ、アメリカの各地で計6回のフォーラムを立て続けに開催してきている。
当初、ロシアは35に分裂するとの地図を掲げていたが、その後運動に参加する民族(グループ)が増え、現在ではロシアは41に分裂するとのセンセーショナルな地図を掲げて活動している。そして、今年3月には同フォーラムはロシア政府によって「望ましくない団体」に指定された。

筆者は中国による支配下で苦しんでいるチベット、ウイグル、南モンゴルなどの民族を支援するとともに、中国の民主化を訴えているグループも応援している。中国の民族問題が専門であって、正直言ってロシアの民族問題にはあまり知見がない。基本的に門外漢である。

ところが実は、私は同フォーラムの創設者であるオレグ・マガレツキー氏(ウクライナ・キーウ在住)とはあることからつながりを持ち、連絡を取り合っている関係だ。そしてこの「ロシア後の自由な民族フォーラム」は、第7回フォーラムを日本において8月1日と2日の2日間で開催するとの発表を7月6日に行った。そこで、日本での同フォーラム開催にあたっての目的などについてインタビューを行い、意見を交換した。その一端を報告したい。

石井 今日は時間をいただきましてありがとうございます。あなたと話が出来ることをとてもうれしく思っています。実は私は中国の新聞では「チベット独立、ウイグル独立、南モンゴル独立、香港独立、台湾独立を煽り、中国の国家分裂を画策している男」と度々名指しで批判されています。ロシア政府の側から見れば、あなたは「ロシアの国家分裂を画策している男」ということになるでしょう。つまり、私たちの会話は、「中国の国家分裂を画策する男」と「ロシアの国家分裂を画策する男」の対話です。なかなか面白い出会いだと思っています。

マガレツキー ええ、実にパーフェクトなマッチングですね(笑)。日本で実際に会えることも大変楽しみにしています。よろしくお願いします。

マガレツキー氏(本人提供)

新しいプラットフォームを構築する必要がある

ロシアが41に分裂した地図。北方領土だけではなく、南樺太と千島列島も日本領となっているところが興味深い。(「ロシア後の自由な民族フォーラム」のホームページより)

石井 最初にあなたのプロフィールを簡単に教えてください。あなたはキーウに住んでいるウクライナ人で、「ロシア後の自由な民族フォーラム」の創設者ですよね。どのような経験、政治的な活動をしてきたか、そしてどのような経緯でこのフォーラムを創設することになったのでしょうか。

マガレツキー 私は大学では組織の管理、グローバル・マネージメント、つまりビジネスだけでなく、公共サービスなど様々な組織を管理する方法を学びました。組織をどう発展させるか、どう大きくするかについて学びました。だから、私の職業は戦略的開発のようなもので、戦争がない普段の生活では、コンサルタントのような仕事をしていました。

戦争が始まると、私はどうすれば戦争を止められるか、どうすれば当面の平和だけでなく、ヨーロッパ、東アジア、アジア太平洋地域における協調的な戦略構築の機会を獲得できるような真の勝利を手に入れられるかを考えました。そして、そのことを考え始めたときに、このプラットフォームのアイデアが浮かんだのです。

石井 このフォーラムの創設前にも政治的な活動に参加されたことはありましたか?

マガレツキー ええ、もちろんです。私はウクライナ人であり、祖国を愛する市民です。2004年から2005年にかけてのオレンジ革命に参加しました。学校からマイダン(筆者注:キーウの独立広場)へ行き、革命に参加しました。両親は心配していました。2回目は2013年から2014年にかけてのユーロ・マイダン革命です。以前から始めていた多くの活動を、銃乱射事件などがあった最後のときまで続けました。

そして2014年にロシアとの戦争に参加しました。兵士のように前線に行き、ロシア兵による銃撃を受けました。だから前線から帰ってきたときは、ビジネスのための生活ではなくなりました。私は政治を変えようと思いました。なぜかというと、国をより良くするために努力すべきだからです。私は、コンサルティングのように、マーケティング・コミュニケーションを理解している人が好きです。様々な政党、リベラルな政党を応援しました。私はリベラルなマインドを持っています。だから、ボランティアとして応援しました。お金のためではありません。

石井 このフォーラムを作ろうというアイディアはどのようなところから生まれたのですか?

マガレツキー “いわゆるロシア連邦”(筆者注:ソビエト連邦の時代とは違い、ロシア連邦においてはロシア連邦を構成する共和国に、連邦から独立する自由は憲法で認められていない。そのため、真の意味では「連邦制」ではないという主張)の内部におけるフラストレーションは非常に高まっています。「捕われた国々」や植民地のように扱われている地域の問題を私は理解していました。そして、私はこれらの支配に反対です。

しかし、実はロシアの反体制派や野党のように見える人たちも、ロシア連邦保安庁(FSB)やその他のロシアの特殊部隊にコントロールされていることがあります。彼らは自分たちの体制やシステムを本当に変えたいのではなく、いわゆるロシア大統領という肩書きの名前を変えたいだけであったりします。彼らは現在の体制を守りたがっています。そして、彼らは様々な民族を自由にすることを望んではいません。

だから私は、FSBのような背景や資金やプロパガンダのない、新しいプラットフォームを構築する必要があると考えました。捕われた国々や地域の運動を代表する様々な人々と話をし、そのように考えるEUやアメリカ、イギリスの人々と連絡を取り合い、2022年の春にこのプラットフォームを構築してスタートしました。

日本はアジアで最も強力な自由民主主義国家

EU議会を会場とした第4回フォーラムの様子(「ロシア後の自由な民族フォーラム」のホームページより)     

石井 これまで既に6回のフォーラムを行っていますね。

マガレツキー はい。最初はポーランドのワルシャワで、2022年の5月8日(ヨーロッパの戦勝記念日)に開催しました。2回目はプラハ(チェコ共和国)。3回目はバルト海のグダニスクです。グダニスクもポーランドですが、非常に興味深い場所です。グダニスクはドイツ語での都市名はダンツィヒで、第二次世界大戦が始まった都市です。第3回目のフォーラムでは、バルト海とスカンジナビア地域のポスト・ロシアについて話しました。

そして4回目のフォーラムは、スウェーデンのヘルシンボリで行いました。ポスト・ロシアの独立国家の国境をどうするか、人、モノ、通貨についてどうあるべきか、どう変えるべきか、何か共通のものを持つべきかについて話しているので、これも興味深かったです。

5回目は今年の1月31日でした。ベルギーのブリュッセルにある欧州議会の建物で行われました。あれは最高だったと思います。

そして、日本の前の最後の開催地はアメリカで、ワシントンDC、フィラデルフィア、ニューヨークというアメリカの3つの都市で行われました。20-40の独立国家を作りたいという意見や、統一ロシア(United Russia)のような改革的なものが必要だという意見もあり、討論も行われました。とても素晴らしいものでした。

次回は8月1日と2日に日本で開催されます。そして年末に向けて、さらに3つのフォーラムを開催します。9月にロンドンとパリで。10月の終わりには、イスラエル、トルコ、そしておそらくアラブ首長国連邦かカタールで開催する予定です。どうするのがいいか、今議論しているところです。そして今年最後のフォーラムは、12月にベルリンとウィーンで開催されます。

石井 日本で開催しようと思った理由は何ですか?

マガレツキー 日本は世界で最も重要な国のひとつです。なぜなら日本はアジア、東アジアで最も強力な自由民主主義国家だからです。ロシアが分裂し新しい国家が誕生するというプロセスでは、中華人民共和国は自分たちのために国家を作ろうとするだろうと私たちは考えています。そしてそれは自由世界にとって悪い影響があることだと理解しています。

また、ロシアは日本の領土である樺太や北方領土を占領しています。このロシア空間の脱植民地化と再構築のプロセスが、日本にとっても、東アジア全体にとっても、どのようにウィンウィンのケースになり得るか、そのように考えることは大変重要だと思っています。

日本に期待すること

石井 日本で開催するにあたって、日本に期待することは何ですか?

マガレツキー 私たちは、官民双方の代表者、NGO、専門家、メディア、民間企業の人々が、アジア地域の将来の新しい国家の指導者たちと直接つながるようになることを願っています。東アジアにおいて新しく独立しようとしている民主主義国家(太平洋連邦、シベリア連合、サハ、ブリヤート、カムチャッカとチュコトカ共和国、トゥバなど)は、日本、アメリカ、台湾、韓国の地政学的、貿易的、軍事的同盟国になるでしょう。ですから私たちは、東アジアの未来の民主主義国家の独立運動を代表する人々の架け橋になりたいと願っています。

石井 以前も私はあなたに伝えましたが、日本にとっては中国が最大の問題です。その意味において、ウクライナのブダノフ情報総局長が描いたというロシアの分裂地図は、私たち日本人にとっては受け入れることはできないものです。ブダノフ情報総局長は誕生日ケーキにその地図を描いてナイフを立てていました。ロシアが分裂するだろうというメッセージが主要な論点であることは理解しています。しかし、問題はその地図です。ロシアは3つに分裂し、西側の3分の1がロシア、真ん中が“中央アジア共和国”、そして東側の3分の1が中国になっていました。これは大変な問題だと言わざるを得ません。ロシアの弱体化が、中国の強大化につながることは、日本人として決して容認できません。私は、ウクライナを応援します。ロシアの脱植民地化も応援します。ただし条件がひとつあります。それは中国には決して手を貸さない、ということです。中国共産党と手を組めば、日本の友人には決してなれないということは、明確に指摘しておかなければなりません。

マガレツキー はい、あなたの言われていることはよくわかります。ブダノフ情報総局長のあのケーキには、悪気はなかったと思いますが、もちろんあれはよくありません。彼と話す機会があるときには、その考えを変えるようにきちんと話をしたいと思います。

ロシアだけではなく、中国の領土も脱植民地化するべきです。自由なチベット、自由な東トルキスタン、自由な満州、その他の新しい国家がポスト中華人民共和国になるべきだと思います。私たちは、ポスト・ロシア空間についてだけ語っているのではありません。ロシアが崩壊した場合には、北京の体制を変える機会が高まるということを見据えるべきです。ロシアが崩壊すれば、北京の政権交代のチャンスが到来します。だから私たちは、モスクワと北京がそうであるように、捕われた国、植民地化された国、占領された国との間につながりを築くべきなのです。

ブリヤートとサハ(筆者注:両方ともモンゴル国の北方に位置するロシアの“共和国”)の運動は反中国です。彼らは北京の一部にはなりたくないし、自由な世界の一部になるために領土や経済システムを手に入れたいのです。彼らは日本、アメリカ、韓国、台湾とつながりを持ちたがっています。だから今、橋を架けることが非常に重要なのです。

自由主義の国々がロシアの脱植民地化を支援することは、モスクワー北京ー平壌ーテヘランという専制国家と、その衛星国の政権(アサド、マドゥロ、タリバン、ルカシェンコなど)による枢軸への、抑止力となるのです。

石井 あなたは今キーウに住んでいて、身の危険を感じますか?

インタビューの様子

マガレツキー もちろん戦争中ですので、その意味では毎日危険は感じています。ただもう500日にもなっていて、そこからは離れるべきです。ずっと怖がっているわけにはいきません。例えば今日もリヴィウで空爆があり、多くの人が亡くなりました。2、3週間前はキーウで空爆がありました。でも、私たちは生きるべきです。戦うべきです。愛するべきです。落ち込んでいたら戦えません。だから、戦う力を持つためには、精神的にも肉体的にもかなり良い状態であるべきです。私たちのためにすでに殺されてしまった人々のために、これから生まれてくる人々のために、私たちは戦うべきです。

石井 個人的に危険を感じることはありますか?例えば暗殺の対象になっているなど。

マガレツキー マイダン革命からもう10年が経ちました。もちろん私たちの命はひとつであり、ロケット弾や銃撃で殺されるかもしれない可能性は毎日あります。しかし私はウクライナ人として、私たちの勝利をより早くするために何をすべきかということに集中しています。私はこの仕事をすることに決めました。もちろん、私だけではなく、私の家族にとっても非常に危険なことですが……。ロシアのテロリストは、対象者だけでなく、その家族までも殺すのですから。私は嘘をつくのが得意ではありません。この戦争が始まる前の2014年からすでに、私は死ぬかもしれないと理解していました。オープンな社会と活発な経済という成功を私は築きたかったのです。外国に行って暮らしたくはありませんでした。だから、何百万人ものウクライナ人と同じように私も戦わなければなりません。
(2023年7月6日/通訳・翻訳:石井陽子《ランダムヨーコ》)

石井英俊

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