長嶋茂雄の言葉「野球の伝道師たれ」背負う清水直行 沖縄と世界つなぐ野球新時代へ

千葉ロッテマリーンズ、横浜DeNAベイスターズで活躍し、2014年に引退表明後はニュージーランドで野球の普及活動を行ってきた清水直行氏。昨年まで2年間、ロッテの投手コーチを務めた後、今季からは沖縄に創設されたプロ野球チーム・琉球ブルーオーシャンズ監督に就任した。
現場のトップとして選手と向き合い、指導しながら自らの活動やこれまでの経験をSNSやYouTubeを使って積極的に発信する清水氏。現役引退後、彼は野球人として何を考え、行動してきたのか。そして今の野球界、スポーツ界を見つめて何を思うのか。

(インタビュー・構成・撮影=森大樹)

ニュージーランドでの普及は自分にしかできないこと

清水氏は厳しいプロ野球の世界において12年間で通算105勝という結果を残した。入団当時は決して強いとは言えなかった千葉ロッテマリーンズで2005年には日本一を経験し、前年のアテネ五輪では日本代表にも選出されている。“元日本代表のロッテ31年ぶり優勝時のエース”という肩書があれば、引退後のキャリアも安泰ではないか。たしかにそういう見方もあるかもしれない。しかし清水氏の考え方は違う。

「今野球は競技人口が不足しているとか、いろいろな問題が言われています。その中で僕の行動は、自分が現役としてやってきた野球というスポーツに貢献できることは何か。もしできることがあるんだったらそれを形にしたいという気持ちから始まっています」

安定よりも、野球界への自分なりの貢献の仕方を見つけることこそが、彼のキャリアにおける行動の基準となっている。

さかのぼること7年前の2013年、当時清水氏は前年に横浜DeNAベイスターズを戦力外となり、所属先が決まっていなかった。その中でWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第3回大会の解説を務めた際、予選出場国として目に止まったのがニュージーランドだった。

ニュージーランドはラグビー大国としての印象が強く、野球のイメージが湧かないことが逆に興味を持たせたと、自著「日本野球を売り込め!」(ベースボールマガジン社)の中で語っている。持ち前の行動力を生かし、知人を介して現地の連盟とコンタクトを取ったところから一気にニュージーランドでの活動への道が開かれていった。そして2014年春、現役引退を表明すると同時にニュージーランド野球連盟のゼネラルマネージャー補佐兼代表チーム統括コーチ就任を発表した。

「実は私だけでなく、世界には個人で野球普及のために動いている方はたくさんいらっしゃいます。もっとそういうところにもスポットが当たるといいですね」

世界にはJICA(国際協力機構)の活動の一環として野球の普及を現地で行ってきた日本人がいる。最近では友成晋也氏(ガーナ、タンザニア、南スーダン)や阿部翔太氏(ニカラグア)などが地道な活動を行ってきているが、あまり日本で話題になることはない。今後はそういった個人の活動と並行して、組織単位での大きな普及の動きも増やしていくべきだと清水氏は考えている。

野球至上主義の時代の終焉と他競技との共存

日本では1つのスポーツを突き詰めることが一般的とされる文化だが、海外では夏と冬で取り組む競技が異なることも珍しくない。ニュージーランドもそうだったと清水氏は語る。もし日本でも複数の競技に取り組む人が増えれば、少子高齢化による人口減少が進む中でもより多くの競技が生き残れる可能性が広がる。少なくともパイを取り合うのではなく、共存の方法を模索していくほうが建設的といえるだろう。

「例えば札幌だったらコンサドーレ(札幌/サッカー)があって、(北海道日本ハム)ファイターズ(野球)もある。沖縄であれば琉球ゴールデンキングス(バスケットボール)やFC琉球(サッカー)がある。だから僕は別に1つに絞る必要はないと思っています。今は選択の時代ですから、週ごとに見に行く競技が変わってもいいんです。ファンは現地に足を運んでくださる人だけではないでしょう。

もしかしたら他の競技を見に行きながらスマホでは野球の中継をつなげて両方観戦するとか、そういう可能性もあると思います。特に今は5G、さらには6Gの時代になると言われていて、いろいろなものをよりリアルに楽しめる環境が整ってくると思うので、エンタメとしてのスポーツの楽しみ方もどんどん変わっていくでしょうね」

リーグに属さないことで自由な試合の組み方ができる可能性もある。例えば他の競技と時間をずらして開催すれば、スポーツ観戦をはしごするといった楽しみ方が提供できるかもしれない。

「伝道師」という言葉の重み

「野球の伝道師たれ」

これは長嶋茂雄氏が2004年アテネ五輪日本代表監督を務めた際に、選手たちにかけたとされる言葉だ。

「この言葉はすごく重いです。答えがないですからね。でも『日本の野球をもっと知ってもらいたい』という思いはあります」

現役を引退してからニュージーランドに行ったことで日本野球の価値を再確認した。反面、発信面が弱く、そのポテンシャルを生かしきれていないと清水氏は感じている。

「日本野球は世界で求められているのに大事にしすぎて出していない部分があって、もったいないと思っています。コンテンツとしても、もっともっと多くの人が見られるようになれば、もしかしたら日本の野球によって人生が変わる子どもが世界にいるかもしれない。それぐらい僕は、まだ日本の野球の力はあると思っています。

そしてニュージーランドでの活動含め、いろいろな場所に野球の種を蒔いていくこと、土壌を耕していくこと、人とのつながりをつくっていくことで日本のことを気にしてもらえるなら、それが僕なりの野球に対する恩返しなのかなと思いますし、やりたいことでもあります」

沖縄という新たな地に琉球ブルーオーシャンズを根付かせていくこと。あるいはリーグに属さないという特性を生かして国内外のチームと積極的に交流を持ち、日本野球を体感してもらうことが、その価値を高めていくことにつながる。

そしてそのために行動している人が結果、「野球の伝道師」と呼ばれるようになるのではないだろうか。清水氏の姿を見ると、そんな気がしてならない。

<了>

【前編】「悪い意味で個人が目立つチームに」元ロッテのエース・清水直行「新球団初代監督」としての決意

[プロ野球12球団格付けランキング]最も成功しているのはどの球団?

王会長提言、なぜ「16球団構想」は進まないのか? “球界のドン”と「変わらなくて当たり前」の呪縛

なぜ日本球界は喫煙者が多いのか? 新型コロナ、健康増進法、「それでも禁煙できない」根深い理由

ダルビッシュ有が考える、日本野球界の問題「時代遅れの人たちを一掃してからじゃないと、絶対に変わらない」

PLOFILE
清水直行(しみず・なおゆき)
1975年11月24日生まれ、京都府出身。元プロ野球選手(投手)、野球解説者。1999年に千葉ロッテマリーンズ入団後、9年連続で規定投球回数クリア、2桁勝利の継続、千葉ロッテマリーンズ日本一に貢献するなどの実力を評価され、野球日本代表に選出される。2004年アテネ五輪銅メダル、第1回ワールド・ベースボール・クラシック優勝などを果たし、日本トップクラスの投手として球界の歴史に名を残す。2014年に現役引退後、日本の野球を世界に広めるべくニュージランドに移住し、ニュージーランド野球連盟のゼネラルマネジャー補佐兼代表コーチに就任。帰国後、2020年シーズンから琉球ブルーオーシャンズの初代監督に就任。

© 株式会社 REAL SPORTS