マンチェスターと言えばシティの時代?六川亨の日本サッカーの歩み

[写真:©︎CWS Brains, LTD.]

4年前の19年8月に続き、マンチェスター・シティが3度目の来日を果たした。19年の日産スタジアムでの横浜FM戦では多くのファンが詰めかけ、6万5025人と当時の新記録を達成した。その時は日本に多くのシティ・ファンがいることに驚かされたが、その思いは4年後の今月23日の試合でさらに強くなった。スカイブルーのユニホームを着た日本人ファンはゴール裏だけでなく、バックスタンドにも詰めかけていた。

いまは「マンチェスター」と言えば「ユナイテッド」ではなく、「シティ」を指すのではないかと思えるほどだった。

国立競技場は6万1618人の観衆で埋まり、新記録を更新したという。47年前の初来日の時は、日本代表が相手でも国立競技場には6945人しか集まらなかった。それを思えば隔世の感がある。

チームバスが国立競技場に到着したときと、スタジアムを後にする際には大勢のファンが見送っていた。確かにアーリング・ハーランドは異能のストライカーで簡単に2ゴールを奪ったし、ロドリやカイル・ウォーカー、ナタン・アケら各国代表を揃えた豪華な布陣ではある。

ただ、昨年来日したパリSGにはメッシ、ネイマール、ムバッペと「客を呼べるスター」が3人も揃っていた。それを思うとシティ・ファンはいわゆる“ミーハー”ではなく“筋金入り”のプレミア・ファンなのかなとも思ってしまう。

ずいぶん昔のことだが、カルチョ2002という月刊誌に続いてプレミアシップ・マガジンという月刊誌を創刊したことがあった。カルチョ~はイタリアの「グエリン・スポルティーボ」という雑誌と、プレミア~はイングランドの「FOUR FOUR TWO」という雑誌と提携しての創刊だった。

そして日本におけるセリエAのファンとプレミアのファンには明らかな違いがあった。セリエAのファンは選手個人のファン、とりわけ女性は“イケメン選手”のファンが多かった。このため選手が移籍すると応援するチームも変わってくる。

一方プレミアのファンは、選手よりも“チームそのもの”のファンが多かった。例えばデイビッド・ベッカムがレアルに移籍しても、レアルのファンにはならずユナイテッドのファンであり続けた。そのユナイテッドやシティ、リバプール、アーセナル、チェルシー、トッテナム・ホットスパーといったビッグ・クラブやロンドンのクラブに負けず劣らず、ニューカッスルやリーズ・ユナイテッド、ノッテインガム・フォレストといった北部や中部のチームを応援するファンは数は少ないながらも必ずいた。

いまなら南部のイギリス海峡に面したブライトンが“三笘効果”もあり日本人ファンが増えていることだろう。その三笘についてベップ・グアルディオラ監督は試合後の会見で「(日本のチームを)下に見るのは相手を知らないからだ。日本には三笘のような素晴らしい選手がいる。日本の選手は質が良く、レベルが高い」と話していた。思わぬところで“三笘効果”を知った次第である。

かつて「マンチェスター」と言えば、オールドファンにとっては「ユナイテッド」を意味した。「シティ」にもデニス・ローやコリン・ベルといったスター選手がいたものの、リーグ優勝は最多の20回を誇り、イングランド勢として初のCL制覇を達成し、「ミュンヘンの悲劇」と言われた飛行機事故からの復活も遂げた。

しかしリーグ優勝から10シーズンも遠ざかり、その間にシティはリーグ3連覇に加えてCLも制した。69-70シーズンにはカップ・ウィナーズカップ(99年にUEFAカップに統合された)を制しているため、シティがELを制覇すれば新たな“トレブル(3冠)”達成となる。シティの時代はまだ当分続くと言っても過言ではないかもしれない。


【文・六川亨】

© 株式会社シーソーゲーム