●今も現役の水豊(スープン)ダム、北朝鮮の国章に
金沢出身の「ダムの父」がきょう7月26日、生誕150年を迎えた。といっても、台湾に烏山頭(うさんとう)ダムを築いた八田與一(はったよいち)ではない。昭和10年代、当時の満州と朝鮮の国境に、世界最大級の水豊(スープン)ダムを造った野口遵(のぐちしたがう)だ。ふるさとではあまり知られていないが、旭化成やJNCを創業した実業界の巨人である。晩年に手掛けた巨大ダムは今も稼働しており、実はわれわれも幾度となく目にしている。(編集委員・坂内良明)
●石川では知名度低く
水豊ダムは、鴨緑江(おうりょっこう)の河口から約120キロの北朝鮮国内にある。琵琶湖のおよそ半分のダム湖を擁し、発電最大出力は当時「東洋一」の70万キロワット。戦後は北朝鮮の発展を支え、朝鮮戦争(1950~53)で米軍の爆撃を受けても破壊されなかった。
日本の化学工業と水力発電事業をけん引した野口は、1873(明治6)年、金沢の加賀藩士の家に生まれた。水豊ダムは、63歳だった1937(昭和12)年に着工し、死去する前年の43年に完成した。
もっとも石川では、野口の知名度は低い。生後20日で金沢を離れ、東京に移ったためだ。「地元には子孫がおらず、資料もない」。2018年に野口の常設展示コーナーを設けた、金沢ふるさと偉人館の増山仁副館長が指摘する。
それでも、関西経済界の雄、中橋徳五郎(金沢出身)と懇意にするなど、野口が「加賀人脈」を大事にしていた様子はうかがえるという。
●「命脈であり宝物」
聖学院大の宮本悟教授(北朝鮮政治・外交)によると、水豊ダムは今も現役だ。だが現地には行けず、ダムは中国側からしか見られない。
ただその姿は、よく日本のテレビにも映る。ダムと発電施設が北朝鮮の国章のモチーフになっているのだ。宮本教授は「建国者の金日成(キムイルソン)が『朝鮮の命脈であり、宝物である』と語ったほど、水豊ダムは大切にされている」と強調する。
もっとも、「北朝鮮で野口の名を知る人はいない」と宮本教授。台湾で「恩人」として顕彰される八田與一のようにいかないのは、ダム建設に現地労働者が大量動員され多くの犠牲者が出たことや、複雑な日朝関係を考えれば、無理からぬことかもしれない。
日本国内では、事情は違う。野口が旭化成の前身企業を設立し、「のべおか新興の母」と顕彰される宮崎県延岡市では昨年12月、「野口遵記念館」がリニューアルオープンした。
「知らぬは地元ばかりなり」となってはならない。北朝鮮関連の不穏な報道が続くが、石川県民として、ニュース映像で北朝鮮の国章を見るたびに、野口に思いをはせたい。
★野口遵(のぐち・したがう、1873~1944)金沢・宗叔町(現・玉川町)生まれ。生後すぐ東京へ。帝大(現東大)電気工学科卒。1906年、鹿児島に曽木水力発電所建設。JNCの前身・日本窒素肥料や、旭化成の前身・旭絹織を設立。26年から朝鮮での水力発電事業に着手。41年には全財産3千万円(現在の約300億円)を投じ、野口研究所と朝鮮奨学金を設立した。