佐世保・高1同級生殺害から9年 いくつも兆候、凶行防げず 元教員の心残り 注視の必要性ひしひしと

「子育て、教育には多様な人々が関わった方が良い」と力説する三島さん=佐世保市内

 2014年7月に長崎県佐世保市で起きた高1女子同級生殺害事件から26日で9年。発生前、加害者の元少女(24)にはいくつもの兆候や問題行動がありながら凶行は防げなかった。その一つが小学6年時の同級生の給食への異物混入。「おせっかいと言われてもいいから、もう少し動けば良かった」。当時、同市の小学校校長会の副会長として事態対処に携わった三島智彰さん(69)は今も変わらぬ思いを語る。
 異物混入が発生したのは10年12月。問題発生からしばらくして、三島さんの元に電話があった。元少女が当時通っていた小学校の校長からだった。「どうしたらいいでしょうか」。取り乱した様子だった。公にしたら子どもたちが動揺し騒ぎが大きくなるかもしれない-。校長は対応に苦慮していた。
 2004年6月に大久保小で同級生殺害事件が起きた際、市教委にいた三島さんは事件対応にも奔走した。校長はそんな経験などを頼りに連絡してきたのだった。同じような過ちをしてはいけない-。三島さんは「正確な事実の把握」に加え「変に隠したりするのは良くない。誠意を持って保護者らに報告、相談するべきだ」と伝えた。
 三島さんは元少女やその親と直接は関わっていないが、当該の小学校で話を聞き、保護者対応などについてアドバイスした。異物混入を目撃した児童はいたが、自分に危害が及ぶのを恐れ、教師へ言い出すのに時間がかかったと聞いた。元少女にはカウンセリングが必要との意見も出たが親の反対もあり、継続できなかったという。三島さんらは元少女を注視し続ける必要性をひしひしと感じていた。
 元少女の中学入学に向けた引き継ぎには校長とともに三島さんも赴いた。引き継ぎは通常は担任間でやるという。校長が引き継ぎをするというのは、それだけ重要視していた証しだった。しかし事件後、校長に対し「(対応を)何もしなかった」といった声が上がった。校長は「悔しい」と三島さんに訴えた。「批判は間違っている」。三島さんは校長の無念さを代弁する。
 その後も元少女の動向は気になっていた。元少女は中学3年のとき、自画像で表彰された。その様子がテレビに流れ、作品を見た三島さんは言葉を失った。自画像の元少女は異様な目つきをしていた。「何も変わっていない、治っていない。心がすさんでいる」。胸騒ぎがした。「あの子はその後どうですか」。元少女が通っていた小学校の関係者に尋ねたが、問題が起きているとの情報はなかった。
 だが、胸騒ぎは杞憂(きゆう)に終わらなかった。事件発生を知った時、「しまった」と思った。「おせっかいと言われようが少女が当時通っていた中学校にも様子を確認すれば良かった」
 定年退職後も、地域の一員として子育て、教育に携わっている。自身の経験から、地域の子を地域が育てる重要性を説く。「多様な人々が子育てに関わり、それぞれの視点や立場から助言できる風土が必要。『だめなことはだめ』と大人が言わないといけない。そうした環境が再発防止につながる」。その思いは事件を機により強くなった。

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