「大惨事忘れることできない」 「戦争ぐらいむなしいものない」 松山大空襲から78年 遺族らが追悼

7月26日、松山大空襲から今年で78年をむかえます。
愛媛県松山市で開かれた追悼式では、戦没者の遺族や関係者らおよそ70人が慰霊碑に花を手向け犠牲者を悼みました。

(父と叔父を亡くした西村利明さん)
「空襲で受けた大惨事を忘れることはできません。愛する家族や友人を失った戦争の痛みや悲しみは私たち遺族にとって深い傷として刻まれています」

1945年7月26日の松山大空襲では、アメリカ軍が松山市中心部を爆撃し、死者・行方不明者含め少なくとも259人が犠牲になりました。

満州で生まれ戦時下を現地で過ごした近藤元規さん。
空襲の1週間後、松山にいた祖父が父に宛てて書いた手紙を今年初めて読みました。

(手紙の内容)
「空襲を受け全市焦土と化しました――」

(近藤さん)
「ひどかったんだなということね。(終戦後)1年経って日本に帰って来て焼野原の松山は見ている。こういう経験はもう本当にしてほしくないよね」

また、手紙には大切なものが空襲で全て焼け、涙が止まらなかったという悲痛な思いも書かれていました。

(父と祖母を亡くした白石世津子さん)
「戦争ぐらいむなしいものはないと思います。そういうことが今後一切あってはならないと私は思っています」

空襲から78年。平和を願う人々の思いは変わりません。

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