「元は高知が発祥なんだよ…」ことし70年目の「よさこい祭り」アレンジ自由で全国に拡大

新型コロナウイルス禍で開催された代替イベント「2022よさこい鳴子踊り特別演舞」=2022年8月、高知市

 高知の夏の風物詩「よさこい祭り」が70年目を迎える。市内中心部の目抜き通りやアーケード街を華やかな衣装に身を包んだ踊り子の隊列が演舞する姿は圧巻だ。戦後の傷痕が残る中、市民の繁栄を願って始まった。もとは盆踊りのような振り付けだったが、次第に自由で熱狂的な踊りに変わり人々を魅了してきた。国内外に広がった「よさこい系イベント」の元祖である。

 今年は前夜祭、後夜祭を含む8月9~12日の日程で4年ぶりに通常開催される。市内のあちらこちらで見られる踊りの夜間練習も追い込みに入り、節目の祭りに向けた雰囲気が盛り上がってきた。(共同通信=野島奈古、船田千紗、片山寿郎)。

 ▽練習は「大人の部活」
 高知市でバーを経営する沖倉翔樹さん(36)の夏は6月から本格的に動き出した。よさこい祭りで披露する踊りの練習が始まったからだ。参加する「よさこいチームTACYON」は踊りの振り付け、音楽、衣装などをそれぞれプロに任せる本格派集団の一つ。よさこい祭りでは踊りの優秀なチームを表彰しており、最高の「よさこい大賞」や「金賞」「銀賞」など上位の入賞を本気で狙っている。

 練習は厳しく、沖倉さんいわく「大人の部活」。40分間の筋トレとストレッチから始まり、踊りの動作の確認では何度も仲間と意見がぶつかりあう。自分は完璧に踊れていると思っていても「ズレている」と注意されたり、踊りの隊列の順番が目立たない後方に回されたりすると納得がいかず、悔し涙を流す人もいる。苦しいことが多くても、踊りを仕上げていく作業には「喜怒哀楽を乗り越えた一体感がある。人間らしさが詰まっている」という。東京都出身の沖倉さんが4年前、よさこいに魅せられて高知に移住した理由がここにある。

移住した沖倉翔樹さん

 ▽心動かした1枚のDVD
 沖倉さんは20歳のころ、初めて高知を訪れた。高校卒業後、都内のホテルでシェフとして働いた。有給休暇を使い、特に考えもなく一人で高知へ。よさこい祭りも知らなかったが、旅の記念に祭りのDVDを買った。

 自宅に戻ってDVDを見ていた時、あるチームが目に留まった。鮮やかな衣装をまとった男女の踊り子が一糸乱れず演舞する。「これはすごい。踊ってみたい」。仕事を辞め、2010年に4カ月間「よさこい留学」として高知市に滞在し、チームのメンバーとなった。初めは両手に持つ鳴子を使いこなせず、踊るだけで精いっぱい。それでも本番は「きれいにまとまり、達成感があって楽しかった」と振り返る。

 初めてのよさこいを経験して高知県民の人柄にも魅了された。ここに住みたいと思ったが、もっと良い場所があるのではとも感じた。

第60回「よさこい祭り」で踊りを披露する参加者=2013年8月、高知市

 ▽世界放浪で気付いた「高知愛」
 すぐに移住はせず、世界各国を転々とした。ただ、ペルーの古代遺跡マチュピチュや絶景として知られるボリビアのウユニ塩湖などを訪れても、祭りに没頭した高知の日々ほど心は揺さぶられなかった。3年ほど暮らしたブラジルで、現地のよさこいのイベントに参加。地球の裏側でもよさこいが知られていることがうれしい半面、本場・高知の盛り上がりを懐かしく思った。ブラジルを離れ、オーストラリアなどオセアニアに滞在していた時に高知移住を決めた。長らく高知に行っていなかったこともあり「高知愛が高まった」と話す。

 2019年に高知市へ移住してバーを開いた。お客さんと「よさこいトーク」で盛り上がる。20年からは市が設けた「よさこい移住」をサポートする応援隊の一員に任命された。今年で8回目の参加。「よさこいは老若男女を問わずみんなで踊る高知の文化だ」とあらためて感じている。

 本番まで残りわずか、踊りに磨きがかかってきた。70回目の今年も「全力で頑張る」と力を込める。

 ▽当初は日本舞踊を取り入れた盆踊り

 第1回のよさこい祭りは1954(昭和29)年8月に開かれた。戦後復興の意味合いだけでなく、8月に買い物客が減る高知市内の商店街を活性化しようとの思いもあり、高知商工会議所などが企画。21団体・約750人が参加した。

 「子ども心に祭りを成功させなければいけないと使命感があった」。高知市のはりまや橋商店街で和装店を営む桑名真紀さん(82)は第1回に踊り子として参加した。隣県・徳島には全国的に有名な阿波おどりがあり、桑名さんも母親に連れられて行ったことがあった。「高知でもこんな祭りがあったら」と思っていたところに、よさこい祭りの開催が決まった。

 当初の「よさこい鳴子踊り」は日本舞踊を取り入れた盆踊り的なもので、大きな特徴と言えば農作物に近寄る鳥などを追い払う道具「鳴子」を両手に持ち、曲に合わせてカチカチ鳴らすことだった。桑名さんは「得意の踊りをお見せするのは楽しく、祭りは盛り上がった」と話す。

 鳴子踊りを創作した作曲家の武政英策(1907~82年)は「曲と踊りを変えてもらって構わない。民衆の祭りだから」とアレンジを容認した。これが踊りの多様化へとつながる。ペギー葉山さん(故人)が歌う「南国土佐を後にして」が全国ヒットした1959年の第6回から正式の踊りだけでなく新作も歓迎したため、工夫を凝らした踊りが次々と登場した。1970年の大阪万博では「日本の祭り10選」に選ばれ、会場で踊りが披露された。

鳴子を打ち鳴らし踊る若者たち=1993年8月10日、高知市追手筋

 ▽経済効果は96億円
 その後、参加チームの踊りはダンス的な様相を強め、衣装もカラフルに。トラックを改造し、音楽を流して踊りを先導する「地方車」は装飾が豪華さを増した。2003年の第50回の踊り子は約2万人に上った。

 経済効果は2017年の第64回が96億円と試算されている。祭りへの参加に全くルールがないわけではない。(1)踊り子の人数は1チーム150人以下(2)鳴子を持って前に進む踊りであること(3)踊りに使う曲は自由だが、「よさこい鳴子踊り」のフレーズを入れる(4)地方車を1チーム1台用意する―がルールだ。

 2020、21年は新型コロナウイルスの感染拡大で中止。22年も中止としたが、規模を縮小した代替イベント「2022よさこい鳴子踊り特別演舞」を開いた。70回の今年は1万人規模の踊り子を見込む。4年前は約1万8千人が参加しており、関係者の間では「ブランクの影響で今後、コロナ前を回復するのは難しい」との声もある。

第50回「よさこい祭り」で踊りを披露する参加者=2003年8月、高知市

 ▽全国240カ所に拡大

 「高知を訪れた観光客が『ここでもよさこいがあるんだ』と話すのを聞いて、『元々は高知が発祥なんだよ』と口まで出かかったことがある」。高知市の50代の会社員は苦笑いで話す。それほど「よさこい形式」の踊り・イベントは本家が分からなくなるほど全国各地に波及している。

 よさこい祭りの情報発信に当たっている高知市の「高知よさこい情報交流館」の調べによると、「よさこい系イベント」を開く地域は2019年3月時点で全国243カ所に上る。「よさこい概論」の講義を持つ高知大地域連携課専門員の川竹大輔さん(53)は1992年に始まった札幌市の「YOSAKOIソーラン祭り」が拡大のきっかけと指摘する。高知のよさこいに魅了された学生が計画。地域おこし関係者から反応があり、踊りの参加者を募集すると「自分もやってみたい」と若者が続々と集まった。

札幌市の大通公園で開幕した「第32回YOSAKOIソーラン祭り」=6月7日

 川竹さんは「当時はハコモノ行政問題が顕在化し、大型ショッピングセンターの進出で商店街も衰退しつつあった時代。若者だけでなく、よその町の人も呼び込める成功事例とみなされた」と分析する。富山市の「富山のよさこい祭り」は1999年に始まった。実行委員会の野上健会長(64)は「県外からの参加者も増えて交流する祭りになってきた。地元経済にも還元できつつある」と話す。

 海外ではブラジルやインドネシアのスラバヤ、アフリカのガーナなどでよさこい系イベントが開かれている。国際協力機構(JICA)が踊りを指導するボランティアを海外に派遣。日本文化の一つとして受け入れられている面もある。

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