仕事でもプライベートでも、避けられないのが周囲の人との関わりです。
合わないなと思う人がいても「いい関係でいなければ」と無理をして接触を重ねていると、いずれ心がダウンしてしまいます。
他人とストレスのない付き合い方を考えることは、相手ではなく自分のため。
「人と正しい距離を取る」とは、具体的にどんな状態を目指せばいいのでしょうか。
苦手な人との関わり…どうすればいい?
「合わない人でも仲良くする」が人間関係の正解ではない
自分に関わってくれる他人について真摯に考える人ほど、「みんなに好かれなければ」「合わない人でも仲良くしなければ」と自分の気持ちを無理に上向きにさせようとします。
誰とでも仲良くできるのは確かに理想ではありますが、人間関係は自分の思いだけで成立するのではなく、相手の意思も必ず存在します。
「合わない人」「ストレスを感じる人」にとって自分はどんな存在なのか。客観的に見たときに、こちらが常に気を使って何とかなっているような関わりなら、それは健全といえるでしょうか。
悪い例を挙げると、こちらがいつも笑顔で何でも聞いてくれることを逆手に取った相手が無茶な要求をしてきたり、相手のために時間を割くことを当たり前にされて楽しくない時間に付き合わされたり……最終的に心が「もうイヤ」と悲鳴を上げて逃げ出したくなります。
そんな自分を受け入れてまで「みんなに好かれる」ことが果たして正解なのか、人を大切にしたいと思う人ほど、実は自分の「こう在りたい」を無視している状態は多いものです。
誰かといい関係でいたい、つながりを大事にしたいと思うときこそ、それと等しく自分についても「こう在りたい」という気持ちをしっかりと見つめることが、居心地のいい境界線を生みます。
「距離を取る」のはお互いの姿を正しく受け止める姿勢
「他人とは距離を取るのがいいよ」というと、「それは冷たいのでは」「突き放すことになるのでは」とネガティブに捉える人は一定数います。
強い関心を向ける人にほど心のつながりを求めるのは誰にでもあり、「常に同じ」であることを考えるのは当然ともいえます。
距離感を悪いものと感じる気持ちはわかりますが、相手と感情をべったりとくっつけているような状態は、隙間がなくお互いの姿を正面から見ることができません。
心が癒着していると少しのすれ違いや衝突でも感情が大きく動き、自分の意に沿わないことでも「相手のために」我慢するのが当たり前となるときもあります。
相手の姿をきちんと離して見ることができれば、それがどういう状態なのか、自分にとってはどうなのか、を冷静に考える余裕が生まれます。
そのとき、相手と距離があることが自分の在り方もまた振り返る余裕を生み、接し方や関わり方をどう変えていけばいいかを考えられます。
「人と距離を取る」とは、拒絶のような壁を立てるのではなくお互いの姿を正しく受け止める姿勢です。
相手が「Aにしたいな」と言うとき、「仲良くいなければ」と我慢して合わせるのではなく、自分はBもいいなと思えば「Bはどう思う?」と尋ねることができるのが正しい距離感と筆者は考えます。
相手と気持ちや意見が違っていても、それを悪いとするのではなく違うと理解したうえで「ふたりにとっていい道」を選べるのが、居心地のいい関係です。
合わない人やストレスを感じる人の場合は、この「自分との違い」を無理に何とかしようとするのではなくそのままで置いておく、こちらが常に沿っていく側になるのではなく「私は別の道を」ときっぱりと離れる意思が、お互いにとってネガティブな感情を深くしないやり方。
心の距離を取ることで、相手もまたこちらの選択を見て自分のやり方を振り返ります。
深い関わりばかりが人間関係の正解ではなく、合わないものは触れずに遠ざけておくのが、何より自分がストレスを溜めない選択なのですね。
「人は変わらない」からこそ
「自分が変われば相手も変わる」とよくいいますが、それは今までと違うやり方をする自分を見せて相手にも変化してもらう、という考え方です。
人は鏡であり、こちらの対応が相手の態度に反映されると思えば、変わった自分を積極的に伝えていくことで相手の気持ちが動く場合も確かにあると思います。
それでも、人が変わるのは自分がそうしたいと思ったときだけであり、こちらではコントロールできません。
逆で考えれば、自分だって相手に何を言われても納得ができなければ無理をしてまで変わろうとは思いませんよね。
こちらがどれだけ新しい自分を見せていっても、気持ちが届かなかったり響かなかったりすることは可能性として当然あるのです。「自分だけががんばっていて相手はまったく変わらない」なんて結末を見れば、やはり落ち込みますよね。
「人は変わらない」と思えば、そもそも相手の変化を期待して何かをするのではなく、できるのは「自分のために」ストレスのないやり方を考えること、接し方も関わり方も相手ではなく自分をメインに据えて選択をしていくのが健全と筆者は考えます。
距離を取るのはお互いの姿を正しく見るための姿勢であり、そこで自分の在り方から変えていく、相手の選択は相手の問題だときちんと割り切ることが、不毛な感情の摩擦や確執を避ける道ではないでしょうか。
合わない人ほど、接触のたびにネガティブな感情が湧きその反動でおかしな振る舞いをしたり無理をして居続けたり、自分の「こう在りたい」を歪める言動が出てきます。
そんな自分を避けるためにも心の距離を取る、「この人はこうなのだ」とだけ受け止めて感情の動きを止める訓練が、相手との関係を悪くしないやり方ではないでしょうか。
接触も関わりも最低限を保つ
他人と適切な距離を取る方法は、自分が無理をしない関わり方を考えるのが最初です。
合わない人やストレスを感じる人との接触はなるべく避け、一緒になる機会があってもその人の振る舞いに反応せず黙っていること、「相手をしない」姿が境界線になります。
そんな自分を冷たいとか人を拒否しているとかネガティブに考える必要はなく、「お互いの在り方をきちんと見ようとしている」とまっすぐに捉えましょう。
応えてしまえば、それがその人を刺激してこちらの意に沿わない接し方をしてきます。
相手をしなければそれ以上関わろうとする気持ちは起こらないはずで、心理的にも物理的にも距離が開いていくのが自然な流れ。
それを悪いことと受け止めず、自分の「こう在りたい」を守ることで心がラクになります。
手にする人間関係はみずからの意思で築いていくものであり、まずは自分がリラックスできる関わり方を目指すのが、本当の信頼や愛情を育てます。
そんな自分を見て相手も心をラクにできるとき、ふたりのつながりを大切にしたくて変わろうと思います。
無理をして自分を変化させるのが人間関係の正解ではありません。変化はふたりのつながりを大事にする気持ち、関係に貢献したいと思う気持ちから生まれます。
長い期間居心地のいい関係でいられる人との間には、必ず自然体でいられる自分が見えるはず。
お互いの姿を正しく知る距離は、素直に気持ちを言い合える隙間になるのですね。
合わない人やストレスを感じる人との間も同じで、「関わらない」ことが自分の自然体となれば、心をラクに過ごせます。
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いつでも気持ちが寄り添っているような密着感も、確かに信頼や愛情を強くすることはあります。
気をつけたいのは「相手とぴったりでいる自分」に窮屈さを覚えるときで、そうなったらやはり心の距離を取るのが正解。
それは相手を拒絶する姿勢ではなく、それぞれの在り方をきちんと知る機会なのだと受け止めていたいですね。
(mimot.(ミモット)/ 弘田 香)