対馬丸継承の道しるべ 「戦争二度と」思い強く 平良啓子さん死去

 疎開する多くの児童らを乗せ、米潜水艦によって撃沈された対馬丸事件を体験し、語り部として活動してきた平良啓子さん(88)の訃報に、ともに活動してきた関係者らは29日、「教育者としても二度と戦争を起こさせない強い思いがあった」「事件継承、平和への道しるべだった」と惜しんだ。

 公益財団法人対馬丸記念会は遺族会を前身とし、対馬丸事件や戦争の悲惨さを伝える対馬丸記念館(那覇市若狭)を運営する。記念会代表理事で、4歳で事件を体験した髙良政勝さん(83)は「事件当時に9歳だった平良さんは私よりも記憶が鮮明で、展示にも多くのアドバイスを与え、いまの記念館の姿がある。父母のように相談できる人であり、事件を継承、平和への道しるべでもあった」と突然の訃報にショックを隠しきれなかった。

 対馬丸が撃沈され、漂流した平良さんは奄美大島の住民らによって手厚い看護を受けた。戦後、奄美を5回訪ね、住民らと交流も重ねてきた。遺族で常務理事の外間邦子さん(84)は「救助した奄美の人たちに絶えず感謝していた。語り部の講演で呼ばれたら県内外どこにでも行き、事件の悲惨さと平和の尊さの発信にまい進してきた」としのんだ。

 館内では平良さんの証言映像も視聴できる。副理事長の渡口眞常さん(73)は平和教育に取り組んできた平良さんの実績にも触れ「数々の対馬丸体験者らの証言映像も残っているが、対馬丸事件を伝える語り部の手本だった」と功績を振り返った。

 平良さんの次女で、記念会理事の次子さん(60)は8月、親子そろって記念館で講話をする予定だった。平良さんと打ち合わせを重ねていた次子さんは「(対馬丸が攻撃された後の)爆発の衝撃で、砂が海面にまで上がったという話を初めてする予定だった」と語り部として駆け抜けた平良さんの姿を語った。 

 (島袋貞治)

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