「奈良ホテル」変わる経営母体と進化するおもてなし|産業遺産のM&A

“関西の迎賓館”といわれてきた奈良ホテル(Photo by 7729UG)

いにしえの都・奈良にあってひときわ伝統と格式を誇る奈良ホテル。現在の経営は株式会社奈良ホテルが担っているが、110余年の歴史のなかでは、幾度となく経営の母体、営業主体が変わってきた。

クラシックホテルとしての格式と伝統を重んじる一方、チャペルの創設など時流に即した取り組みを進め、連綿とホテル事業を続けてきた。その盛衰とM&Aの歴史を、駆け足で振り返ってみる。

西村仁兵衛率いる大日本ホテルのもとで開業

奈良ホテルの開業は、日露戦争直後の1909(明治42)年10月のことであった。建設したのは1908年に帝国鉄道庁と逓信省鉄道局を統合した中央官庁の鉄道院である。そして、「奈良ホテル」という名称でその経営を担ったのは、大日本ホテルという会社を経営し、帝国ホテル創業者の大倉喜八郎と肩を並べ、京都「都ホテル」の館主であった西村仁兵衛だった。

西村仁兵衛は、奈良市の中心地、奈良公園の高台の一等地でホテル事業に乗り出す。

なお、オープン前に奈良ホテルの用地は、実は大日本ホテルから関西鉄道という鉄道会社が買い取っている。関西鉄道とは明治期に大阪府中東部・京都府・三重・奈良県、さらに滋賀・和歌山県へと路線を展開した鉄道会社。その関西鉄道は1906年に鉄道国有化法が成立したため、翌1907年に鉄道院に買収されている。そのため奈良ホテルの開業当初は、鉄道院がいわば家主であり、ホテル事業を大日本ホテルが担っていたということになる。

ところが、その大日本ホテルは奈良ホテルの開業後、数年で会社をたたむことになる。おそらく日露、第一次大戦と国内外で戦争が続き、思ったほど客足が伸びなかったため、西村仁兵衛の積極策が裏目に出てしまったからだろう。和洋折衷の贅を極めた建築物として注目を集めた奈良ホテルの経営は、1913年5月、同ホテルを建設し家主でもあった鉄道院が担うことになった。

国賓も招く豪奢なホテルに

大正期から昭和期の第二次大戦を迎えるまで、奈良ホテルは鉄道院の経営のもと、諸外国の元首や皇族、多くの賓客を迎えた。奈良ホテルにとって、最も華やかな時期だったのかもしれない。

だが、その栄華も長く続くものではなく、第二次大戦の戦禍にまみれていくこととなった。奈良ホテルを経営していた鉄道院は1920年、鉄道省にいわば格上げされ、奈良ホテルも鉄道省の直営ホテルとなっていた。

その鉄道省は1943年に運輸通信省に統合され、運輸通信省は1945年、運輸省に改編された。その運輸省では発足当初、奈良ホテルの財産を現在のJTBの源流ともいえる財団法人日本交通公社に貸し、ホテルの営業を任せることになった。

戦後の一時期、奈良ホテルは米軍に接収され、駐留米軍のレクリエーション施設となった。そして1952年6月、米軍による接収が解除され、1953年8月に奈良ホテルとして営業を再開。以降は財団法人日本交通公社によって運営された。

終戦直後から1950年代前半、国民に高級ホテルに泊まり楽しむ余裕などはなかった。奈良ホテルの運営は、戦前に比べ相当厳しい状況だったようだ。1949年6月には運輸省から鉄道部門が国鉄(日本国有鉄道、現JR)として分離されたが、その国鉄に対して1954年4月、日本交通公社は奈良ホテル事業の返還を申し出ている。


都ホテルが引き継いだホテル事業

当時の国鉄はホテル事業を営むことはできず、日本交通公社からの申し出は叶わぬこととなった。奈良ホテルとしてはその事業の譲渡先を探すことになる。そこに乗り出したのが現在の京都ホテルグループの流れを汲む都ホテルだった。1956年3月、奈良ホテルの運営を都ホテルが引き継ぐことになった。

都ホテルによる営業は、1983年1月まで続いた。奈良ホテルとしても、ただ伝統・格式の上にあぐらをかいていたわけではなかった。建物や調度品などの老朽化は進んでいたが、営業の挽回策として新館の設立や宴会場の増設などを目論んだ。

JR西日本、2018年に奈良ホテルを子会社化

経営主体として1983年1月、国鉄と都ホテルが折半の出資で、株式会社奈良ホテルが誕生した。同年4月、奈良ホテルの経営は同社が担うこととなった。1987年4月には国鉄が分割民営化され、奈良ホテルの国鉄所有分の資産はJR西日本に継承された。JR西日本は株式の50%を持っていたが、残り50%は都ホテルを吸収合併した近鉄ホテルシステムズが保有し、近鉄グループホールディングス(近鉄GHD)が出資するかたちになった。

なおJR西日本ではインバウンド(訪日客)需要への対応強化を目的に、2018年8月、近鉄GHDから株式会社奈良ホテルの全株式を取得し、完全子会社化した。

また、その翌年、奈良ホテルは株式会社近鉄・都ホテルズが運営し、関西を中心に「都ホテル」ブランドなどのシティホテル・リゾートホテルなどを展開する大手ホテルチェーンである都ホテルズ&リゾーツを退会している。

その後、今日に至るまで、奈良ホテルの経営は株式会社奈良ホテルが担っている。新館の建設や客室の増築なども順調に進み、1997年10月にはチャペル「奈良公園聖ラファエル教会」もオープンし、ホテルが収蔵する絵画の展示会などのイベントも奏功した。

かつてのような国賓を迎える伝統と格式を重んじるクラシックホテルのブランディングに加え、隣接した国の名勝である旧大乗院庭園と合わせて今日、国内客はもちろん広く世界中のインバウンドを受け入れる瀟洒な観光・宿泊施設となっている。

奈良ホテルの南側に広がる旧大乗院庭園(photo by kimtoru)

文:菱田秀則(ライター)

菱田秀則

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